原発事故報道で、新聞はひたすら大本営発表をたれ流した。世界から見れば非常識極まりない日本の大メディアの体質を、自身も日本経済新聞の記者経験があり、新聞社と権力との癒着を批判した『官報複合体』(講談社刊)の著者、牧野洋氏が指摘する。
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福島原発報道ではむしろ週刊誌の活躍が目立った。一例は、二〇一一年五月二八日号(十六日発売)の週刊現代が掲載した「実はこんなに高い、あなたの町の『本当』の放射線量」という記事。同誌は独自調査を実施した結果、政府公表の放射線量データは信頼できないと結論した(同記事は、私がコラム連載しているウェブマガジン「現代ビジネス」にも転載されていた)。
これは調査報道のお手本とも呼べるスクープだった。朝日新聞は同月二十七日付の夕刊で「放射線測定地、ばらつきなくせ」という記事を掲載し、週刊現代のスクープを追いかけた。センセーショナリズムに走りがちとはいえ、週刊誌が総じて新聞よりも権力監視型なのは、権力に近い記者クラブから締め出されているからかもしれない。
福島原発報道の失敗を繰り返さないためにはどうしたらいいのか。記者会見など発表報道はすべて通信社電で代用し、権力監視型の独自取材へ経営資源を集中投下することだろう。共通ネタを追いかけるのではなく、独自ネタの発掘を最優先するわけだ。
ここで威力を発揮するのが専門記者だ。単に特定分野に詳しいだけでなく、公開情報をどのように入手・分析するのかも熟知していなければならない。専門記者であると同時に「リサーチャー」「データ分析家」でもあるわけだ。公開情報の入手・分析は調査報道の王道である。
新聞社が大震災発生から一週間以内にスピーディのデータを入手し、専門家の視点で分析していたら、どんな展開になっていただろうか。浪江町の住民も含め国民に計り知れない利益をもたらしたことだろう。まさに「第四の権力」としての面目躍如だ。
新聞記者にしてみれば「スピーディのデータなんて簡単に入手できない」という思いがあるかもしれない。しかし、日本の新聞界には連日の夜討ち・朝駆けで体に鞭打ちながら、守秘義務を負う捜査官から捜査情報を聞き出すほどの辣腕記者が多い。彼らを記者クラブ詰めから解放し、調査報道班として勢揃いさせれば、データ入手も不可能ではなかったはずだ。(文中敬称略)
※SAPIO2012年3月14日号