「海は見たくない。もう二度と立たない」
そう思っていた。でも、夫に誘われ、久しぶりに海辺に立った。そこには、かきの養殖再起に向けて、共同でいかだづくりに励む仲間たちの姿があった。
「正直なところ、気持ちが少し吹っ切れた部分があるんですよ。こんなに皆が頑張っているんだという姿を初めて見て、自分も少し前向きになれた。またお父さん(夫)や皆と一緒に仕事ができるんだという希望も持てたんです」
そう話すのは、岩手県山田町の仮設住宅に夫の甲斐谷郁朗さん(57才)と住むトヨ子さん(52才)。夫妻は、20年余り前から一緒に、かき、ほたての養殖を行ってきた。昨年7月に入居した仮設住宅は、6畳と4.5畳、6畳キッチンが縦に並ぶ間取りの住宅だ。
「仕事がないから、狭い部屋に半日ポツンといて、テレビを見ている。いままで50坪の家にいたから、ここは圧迫感があってね…」
かきの養殖は時間がかかる。湾にいかだを浮かべて、そこから海の中にロープを垂らし、150匹ほどの小さなかきをくくりつける。そこから、出荷できる大きさに成長するまでにはおよそ3年かかるという。
山田町の湾には、震災前に約1000台のいかだが浮かび、甲斐谷さんは、そのうちの20台を所有していた。だが、すべて津波にさらわれた。
しかし、昨年4月ごろ、養殖業の仲間たちが海の瓦礫の中から、運よくかきがついたまま残っていた養殖いかだを270台ほど救出できた。そのかきを足がかりにして、養殖業の仲間たちで共同経営し、かき養殖を再開する案が持ち上がった。
養殖いかだは、生き残った270台にくわえ、皆で新たに700台を購入。1人200万円ずつを出し合った。トヨ子さんはいう。
「運がいいほうに考えればいいのか。震災の前年、初めて組合の保険にはいったんです。保険金800万円が支給され、そこから200万円が拠出できたんです。ただ、いくら保険がはいっても、将来のためには食べるお金を築いていかなければいけません」
仮設住宅の入居期限は原則2年間。自治体に申請すれば延長も認められるが、永遠に住むわけにはいかない。新しく住む家のことも考えなければならない。もともと住んでいた土地は「宅地にはなりません」と、町役場から通告された。
不安は多い。だが、確かな希望もある。
「実は、震災後、海がきれいになったんです。皮肉なことに、津波によって、海底のヘドロが掃き出されたんですね。その結果、かきもすくすく成長するようになったんです。いつもは3年かかるけど、今年は1~2年でできそう。がんばっぺな」(郁朗さん)
※女性セブン2012年3月22日号