東日本大震災から1年が経過したが、今後とも大地震が発生する恐れはある。いかにして我々は対処すればいいのか。阪神大震災で被災し、避難所だった体育館で『震度7が残した108の教訓』を執筆した荒尾和彦さんは「堤防もサイレンも信じるな。とにかく高台へ」と提案する。
これまで幾度となく津波に襲われた東北沿岸は、津波対策に力を入れていた。しかし、それが人々の油断を誘うこともある。
「5mの堤防があるから、大丈夫だってみんないってたよ。でも、うちはおばあちゃんが“いつも津波が来るって思ってなさい”って家族にいつも話してたの。だから地震が起きたとき、海にいたんだけど、急いで山に登って避難できたわ。娘もちゃんと山に逃げてた」(東松島市在住・40代主婦)
東北の沿岸部には、津波を警告するための緊急のサイレンが備えられている。しかし、過信してはいけない。
「携帯電話はつながりにくいし、外にいたから何の情報もなかったんですよ。サイレンも鳴っていないし、とりあえず自宅に戻ろうと思ったんだけど、職場の同僚が“津波警報が出てるぞ”と叫んでいたんです」(石巻市在住・30代会社員)
天災には人の考えはいつも及ばない。沿岸部に住む人は常に津波の危険を頭に入れ、逃げられるうちに必ず避難したい。
また、荒尾さんは「車の窓ガラスは開けておく。わずかな情報も逃すな」と提案する。地震発生後、家族や部屋の様子をみるために車で自宅へと引き返した人がたくさんいた。津波が来ることを知っていた人は大声で呼びかけたが、運転手の多くはそれを聞くことができなかったという。
「津波が来るっていうのに、海の方へと向かう車がいたから、いってやったんだよ、“津波が来るぞ”って。でも、車の窓が閉まってっから、聞こえねぇんだよ。どうすることもできねぇわな」(多賀城市在住・70代無職)
震災直後のパニック時はわずかな情報も命を左右する。さらに、窓を開けることはこんな利点もあった。
「車で逃げてたんだけど、気づいたら、徐々に津波にのまれていったんだ。慌ててドアを開けようとしたら、なんでか開かねぇ。でも、窓を開けて走ってたから、そこから這い出ることができたんだよ」(東松島市在住・50代会社員)
※女性セブン2012年3月29日・4月5日号