石巻日日新聞社では津波の被害で輪転機が止まり、社員らも被災した。にもかかわらず、全6名の記者が取材活動を続けて手書きの壁新聞を作り、地域住民に情報を届けた。報道部長の武内宏之氏が語る。
「弊紙は、物資が不足した戦時中、わら半紙で手書きの新聞を作ったことがあり、そのことを社長に話したのです」
社長は壁新聞の発行を決断した。新聞ロール紙に書いた壁新聞は、3月12日から、電力が回復してパソコンでの印刷に切り替えるまでの6日間、避難所やコンビニなど7か所に貼り出された。武内氏は会社に泊まり込んで記者に指示を出し、集められた情報を社長と二人で選別し、ロール紙に書き込んだ。
「手書きで書き込める原稿量は驚くほど少なく、泣く泣く捨てざるを得ない情報もたくさんありました」
避難所には全国紙も届けられていた。そこは「奇跡」「感動秘話」「悲劇」のニュースで溢れていた。
「救援物資や給水車がどこに来るか、水道や電気はいつ復旧するか、再開した病院はどこかなど、被災者が必要とする情報はほとんど載ってない。大手新聞は、被災地“外”の人が被災地“内”を知るためのものなんですね。自分たちの新聞を印刷できないのが悔しかったです」
同紙を100年前に創刊した創業者の山川清氏は「新聞は地域の回覧板たれ」という言葉を残した。武内氏は改めて今、その言葉を噛みしめている。
「今の石巻の最大の問題は失業問題です。産業復興に地域新聞がどう貢献できるのかがこれからの課題です」
孤立化しがちな仮設住宅に住む被災者には、仮設が閉鎖されるまで新聞の無償配布を続けるという。情報を届けることで人々の心を支え、人々をひとつにするという、新聞本来の役割を小さな地元紙は果たしている。
※SAPIO2012年4月4日号