去る3月10日、野球日本代表(侍ジャパン)による東日本大震災の「復興支援試合」が東京ドームで開催された。収益の一部を被災者支援に充てるこの試合は、プロ野球界としての復興支援であり、震災に際して200億円超の義捐金を送った台湾の代表が対戦相手として招かれた。
が、この試合には球界関係者、野球ファンの多くが「その場にいるべき」と思うであろう人物が不在だった。福岡ソフトバンクホークス会長で日本野球機構コミッショナー特別顧問、そして台湾球界では“英雄”と呼ばれる王貞治氏(71)である。当日、王氏は九州の地にいた――。
王氏が復興支援試合に姿を見せなかったのは、「翌11日には長崎での講演が決まっており、東京から九州にとんぼ返りするのは体力的に厳しい」(ソフトバンク関係者)という理由もあったようだが、なぜ王氏はその日、福岡にいることを選んだのか? スポーツライター・永谷脩氏がリポートする
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2008年オフにソフトバンク監督の座を秋山に譲った時、王がこう語っていたことを思い出す。
「ユニフォームを脱いだ身としては、球界発展のための段取りや礎を築く役割に集中する。晴れがましい舞台は、若い世代で盛り上げるべきなんだ」
その信念は強固だった。裏方に徹し、決して表に出ようとしない王の姿は、ソフトバンクの選手の誰もが知っている。
「自分が表に出れば周囲の目が集まり、選手が主役でなくなってしまうことを知っておられるんでしょう」
主将の小久保裕紀はこう語る。観戦した試合でチームが勝利しても、自分はベンチ裏から食堂に通じる関係者用通路で選手一人一人をハイタッチで出迎える。決してファンの前には出ない。今年のキャンプでも同じだった。全体練習が終わりに近づき、ファンがスタンドから降り始める頃になって、王はようやく動き出す。だから、ファンの多くは、王に気づかない。
この時間帯は若手の特打に充てられる。将来を期待される長距離砲・柳田悠岐のバッティングが始まると、王の指導に熱が入っていく。将来のチームを背負う若手を見ると、野球人の血が騒ぐのだろう。臨時コーチとして若手指導に来ていた、78歳になる中西太は、王の気持ちを代弁する。
「年齢を重ねると、球界への恩返しと思い、誰もが次の世代を育てたくなる。黒子に徹するのもそのためや。しかし、ワシも野球が大概好きだが、あの人はワシ以上に好きやな」
王はこうした育成の仕事を「ライフワーク」と語っていたことがあった。だからこそ、少年野球の発展にも精力的に動く。第1回WBC決勝の場となったサンディエゴのレストランでのことだ。1人の外国人の少年が王に歩み寄り、「自分は王さんの主催する世界少年野球大会に参加した」と握手を求められた。王は満面の笑みを浮かべ、嬉しそうに少年と話をしていた。
「ボクの夢はこうして世界で知り合った子が成長しても、ずっと野球を続けてくれること。そして自分たちが探し出した選手が雁ノ巣(二軍)で鍛えられて、ヤフードームでプレーをするようになり、彼らを昔から見守ってくれたファンで、ドームがいっぱいになることなんだ」
復興支援試合と新球場のこけら落としから3日後、王は「世界少年野球大会」のために三重、奈良、和歌山に飛んだ。黒子に徹する「世界の王」は、今日も遠くから球界の将来に思いを馳せる。
※週刊ポスト2012年3月30日号