東京電力福島第一原発事故から1年。事態は解決に向かっているとはいいがたく、いまだ故郷に戻れない人もたくさんいる。不透明な先行きのなか、子供への放射能の影響を心配し、安全な土地へ移住する子育て世代が相次いでいる――ノンフィクション・ライターの北尾トロさんも奥さんに引っ張られるように、移住を計画中。そこで、トロさん自ら、すでに移住生活を始めた家族たちに、その本音を尋ねて回った。
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福岡県糸島市は福岡市の隣、玄界灘に面したプチリゾート地。最寄り駅まで渡邊美穂さん(37才)と息子の三多クン(1才)が車で迎えにきてくれた。家賃3万円の長年空き家だった物件は、使わない部屋があるほどゆったりし、敷地100坪は下らない。夫の精二さん(36才)も床の張り替えや壁の塗装を手伝い、秋から暮らし始めている。
「ふたりとも福岡出身で、いずれ九州で田舎暮らししたいと考えてはいたんです。震災後は母子だけで実家に戻っていたんですが、ある日、彼から『会社辞めてもいいか』と電話があって、いいんじゃないと答えました」(美穂さん)
一家で脱・東京しちゃったわけだ。精二さんは大学卒業後、いままでサラリーマンをしていた。結婚後は会社の社宅に夫婦で住み、一粒種の三多クンが生まれて3人で暮らしていた。よく思い切れたなあ。
「会社はいずれは辞めるつもりでいたから未練はなかった。先のアテ? ないんですけど、心配していたら新しいことはできないじゃないですか。まずやってみよう、何とかなるだろうと。現在は失業保険をもらっていますが再就職も考えてないですね」(精二さん)
でも、この地は九州電力玄海原発が近い。その心配はなかったのか。
「ここに永住するとは決めていません。不安が強くなればまた移住しますよ」(精二さん)
なんだかこのふたり、やけに前向きだ。どっちみち、いつかは東京を離れるはずだった。それが早まっただけ。そんな話し振りなのである。糸島の人たちは移住ウエルカムな雰囲気。望めば畑も借りられるので、野菜をつくり、空き時間には近くの埠頭で釣りでもして暮らそうかなんて笑っている。ぶっちゃけ、後悔はないのか。
「まったく。ぼくは畑を耕してみたいから」(精二さん)
それで生活はできないから、現金収入を得ることは必要だ。その方法はまだ見つからず、貯蓄を取り崩しているそうだが、表情は楽観的。家賃や生活費は安く済む。それに応じた稼ぎがあればいいと考えるからだ。13年間も働いたのだから、じっくり案を練るのもいいではないか。
※女性セブン2012年3月29日・4月5日号