東京浅草と京都を舞台に、交錯する2組の夫婦の性愛。2009年の『ダブル・ファンタジー』で男女の性の深みを極限まで掘り下げ、話題をさらった村山由佳氏の新刊『花酔ひ』は、浅草の老舗呉服店に育った〈結城麻子〉と、京都で実家の葬儀店を夫と切り盛りする〈桐谷千桜〉の物語が、当初は2誌に跨って連載されていた。著者・村山氏が語る。
「2つの独立した物語が、後々組み合わさることだけを決めて書き始めました。つまり麻子×夫の〈誠司〉、千桜×入婿の〈正隆〉ではなく、麻子×正隆、千桜×誠司の間で、性愛の極みがつきつめられていくという。それこそ世間的に見ればよくあるダブル不倫なんですが、まさか千桜と誠司がSM世界に嵌るなんて、私も思わなかった(笑い)」
〈恋ではない、愛では尚更ない、ただ、もっと不純で、もっと純粋な、何か――〉
そんな何かに憑かれたかのように〈換えのきかない快楽〉を貪る4人の男と女。そこにはモラルなど、存在しないかに思えるが……。村山氏は、『花酔ひ』に込めた思いをこう語る。
「私自身はどちらかというと、凡庸な自分に傷つき、母の躾やモラルに常に縛られてきた人間なんですね。唯一自由になれるのが想像に遊ぶ時間で、自らの暗部も含めて小説に書くことで私自身、救われてきた。
ですから個人的にはむしろようやく原点に戻れた気が実はしていて、自分の奥に広がる暗がりを、とことん掘っていくことで、私自身が凡庸な分、人間全体にも通じる鉱脈を掘り当てられるかもしれないと。周囲には『私生活で何かあったのか』とよく心配されるんですけどね(笑い)、どんなに特殊な世界も自分が書けばどこかで普遍に繋がるという妙な自信があるんです」
老舗呉服店「ゆうき」を営む父が倒れ、家業を継ぐ決意をした麻子は、もとはブライダル会社のプランナー。夫・誠司は当時の同僚で、40手前の2人に子供はないが、毎年入谷鬼子母神の朝顔市には手をつないで出かけるほど、仲良し夫婦だ。
あるとき祖母〈トキ江〉に店の2階に呼ばれた麻子は、亡き祖父が買い集めたという数百もの古着を見せられ、明治から昭和初期にかけて粋と贅の限りを凝らした手仕事の見事さに目を見張る。その魅力を伝えようと、麻子はアンティーク着物店「遊鬼」を立ち上げ、商品の確保に心を砕いていたある日、京都の桐谷なる人物から電話が入るのだ。
〈ざらりと掠れた声〉〈やわらかな京言葉と、低く太い声とのギャップに、麻子はなぜか一瞬、めまいのようなものを覚えて息をのんだ〉
桐谷は年代物の着物がある、ついては京都まで来てほしいと強引に言い、職業を尋ねると少し間をおいて〈――葬儀屋です〉と言った。やがて京都へ度々赴くようになった麻子は〈あんたを抱きとうて抱きとうて、たまらんのや〉と告白され、それまで想像もしなかった快楽と自分を知るのである。
「私自身、古くて“しきたり”のあるものに、惹かれる傾向があるんですね。着物という約束事に縛られた世界で、誰にも後ろ指さされない着こなしを心がける麻子もまた相当なモラリストであろうと。
その麻子が自信家ながら屈託も抱える桐谷と出会い、抗いながらも堕ちていくというのは相当エロチックで私の好み。健やかで正しい彼女が桐谷との正しくない関係に溺れるき、背徳感は芳醇ですらあり、いわばモラルのおかげで不倫は楽しくなるし、快楽は深くなる(笑い)。
いや、自分は絶対にそんなことはないと言う方もいるでしょうが、モラルを守ろうとして守れなかったり、タブーを敢えて冒したくなるのが人間でしょ。その弱さや不可思議さを、せっかく小説では無傷で体験できるのに、価値観の多様化という割に一人一人の中身は旧態依然としているのかなって、いわゆる良識派読者の反応を見る度にこっそり思う(笑い)」(村山氏)
●構成/橋本紀子
※週刊ポスト2012年3月30日号