津波で大きな被害を受けた仙台平野では、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが確認されている。つまり、江戸時代の人々の日常には、現代より何倍かリアリティをもった地震への対応が織り込まれていたと、作家で五感生活研究所の山下柚実氏は指摘する。以下は、山下氏の解説だ。
* * *
東日本大震災から1年。以前には、顧みられることが少なかった古地図や土地にまつわる古い伝承。しかし、過去の歴史の中にさまざまな防災のヒントがある、ということがわかってきて、「歴史や過去から 謙虚に学べ」という気運も少しずつ高まってきているようです。
たとえば、歴史街道は津波に浸水しなかった、という事実。
「津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新教授(江戸時代史)の調査で確認された」(毎日新聞2011年4月19日)。報道に驚いた人も少なくないでしょう。
古い街道は、「過去の浸水域を避けて」作られていた可能性が高いことが調査で明らかになったそうです。東北大・平川新教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と指摘しています。
あるいは地名。これも驚きです。『この地名が危ない』(楠原佑介著)等によれば、「倉」の語源は「刳(く)る」。「地面がえぐられたような地形」を示し、波がえぐった土地の痕跡が地名に残っているのだとか。
あるいは「鎌倉」の「かま」。かまどや釜からきたということで、穴のようにへこんだ土地を指す。鎌倉は、振り替えれば繰り返し大きな地震や津波に襲われてきた場所だとわかるのだとか。
こうした指摘は、噛みしめれば噛みしめるほど深い。「想定外」と簡単に言いますが、すでに「想定」されていた、という証に他なりません。
街道や地名などは、いわばハード面。その他にたとえば人の行動のあり方、といったソフトの面からも、歴史から学ぶ点は多いのでは?
たとえば「江戸しぐさ」の中にも、地震についての教えがあります。江戸時代、商人のリーダーたちが築き上げた行動哲学「江戸しぐさ」とは、人づきあいや共生の知恵、多くの人が平和的に暮らす方法を「しぐさ」「身体の動かし方」に練り上げたもの。
「江戸しぐさ」を講演活動等を通して現代に伝える越川禮子さん(NPO法人江戸しぐさ理事長)は、「江戸の地震はなますの天地返し」という言葉の中に人々の自覚が見てとれる、と指摘します。
「なますとは、地震を予知するとされた鯰のこと。天地返しは、つまり直下型の地震が一定期間をおいて繰り返される、ということです。江戸の人々は地震を前提に暮らしていたのです。自然からの警報に敏感に耳を傾けていた明かしです」
「飛び越ししぐさ」もその一つ。地震発生といった万が一の時には、「序列や組織の手続きなどに足をとられず、飛び越して行動せよ」という行動の知恵。
「江戸っ子のリーダーは、まさかの時には組織を簡略化し、臨機応変に動くべきと知っていた。それを平常時から自覚していた」
つまり、危機管理対応が、町の中に生きていた証だそうです。
その他、江戸の町には「なます講」もあった。地震時のためのボランティア組織です。
あるいは圧死を避けるために強度を持たせた「地震部屋」や、まちの火除け地「広小路」。屋根の上の「うだつ」は延焼を防ぐ仕組み等々、その工夫と知恵は枚挙にいとまがありません。
江戸時代の人々の日常には、現代より何倍かリアリティをもった地震・火災に対する対応・ソフトウエア+ハードウエアが織り込まれていたのです。「古い」などと江戸時代を否定し、一蹴してきた近代社会。しかしもう一度謙虚に、過去から学び直す必要があるかもしれません。
「稚児は予想ができぬからあわて、大人は予想ができるから慌てぬ」という言葉もあるとか。今の政権、まるで「稚児」そのものではありませんか。