東京電力福島第一原発事故から1年。事態は解決に向かっているとはいいがたく、いまだ故郷に戻れない人もたくさんいる。脱原発なのか続行なのか、国の方針が定まっていないだけでなく、実態がどうなっているかさえ国民は知ることができない。
不透明な先行きのなか、子供への放射能の影響を心配し、安全な土地へ移住する子育て世代が相次いでいる。ノンフィクション・ライターの北尾トロさんはすでに移住生活を始めた家族たちに、その本音を尋ねて回った。
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土曜の夜、午後9時45分発の深夜バスは、ほぼ満席だった。目的地である岡山県・津山への到着時間は早朝6時半。さらに電車に乗り換えて岡山市の金川駅で下車。服部夏生さん(38才)が家族と会うときのコースだ。平均月2回、夏生さんはバスを利用。有給などを使い、できるだけ長く滞在する。といっても3、4日だが。
「ぼくは深夜バスのヘビーユーザーですよ。新幹線の半額以下ですから、バスしかあり得ない(笑い)」(夏生さん)
そうなのだ。バスは圧倒的に安く、夜中に走るので時間が効率よく使える。ぼくも、家族が松本に行ったら特急あずさではなく往復バス利用組になるだろう。
しかし長距離はラクじゃない。横3席でリクライニングできるといっても、熟睡は困難で、微妙に疲れたカラダで津山に着いた。何もない。コンビニもファミレスも影も形もないのだ。夏生さんの苦労がしのばれる。
金川駅からタクシーで10分。郊外というより山あいといいたくなるのどかな道路に、長女の詩子ちゃん(7才)と長男の樹クン(5才)が迎えに出てくれていた。案内され、妻の育代さん(40才)に挨拶する間も、子供たちが元気に走りまわる。
服部家が移住した経緯は複雑。もともと原発が気になっていた育代さんは事故後すぐに夫の実家がある名古屋に逃れ、いったん戻った後もお母さんネットワークで情報をチェック。東京から離れるしかないと腹をくくっていた。
「瀬戸内の祝島や九州、島根、あと鳥取へは下見にも行きました。縁あって8月1日から津山に疎開して部屋を借りましたが、ノミがいた(笑い)。その後、将来的なことも考え、岡山市内に越してきたんです。いざというときは空港が近いので海外脱出もしやすいですし」(育代さん)
育代さんは、個人と団体による組織『子どもたちを放射能から守る全国ネットワーク』のメンバーで、毎月のように東京や福島に足を運ぶため、利便性も確保したかった。
また、岡山で長く暮らすためには中心部へのアクセスも大切になってくる。ただし、荷物は東京の持ち家に置きっぱなしなので、現状は移住者より避難者に近い。安全な地域へ脱出するのが先決で、あとは動きながら考えていこうというスタンスだ。
「私と子供たちが岡山にいて、ひとり東京に残った夫は寂しいし不便だし困ったなあと思っているわけです(笑い)」(育代さん)
放射能による見えない影響を考えれば、東京で子育てするのは厳しいと夫婦間の意見は一致している。だが、会社員の夏生さんとしては、踏ん切りをつけるまで2年程度は猶予が欲しい。育代さんは2年なんて長すぎると思う。そのことではたびたびケンカもしている。
「東京は便利だし、仕事も好きみたいだし、わかるんですよ。でも、別れて暮らすのは不自然。いつまでこれをやるの、と」(育代さん)
逃げるように東京を離れた後ろめたさみたいなものが育代さんにはある。本当にこれでいいのかと悩むこともしばしばだ。だからこそ、いつまでも東京生活を引きずって、後ろ向きな視点でいるのはつらい。ここで生きていくのだと思いたい。
※女性セブン2012年3月29日・4月5日号