平日の日中に発生したため、多くの家族がバラバラになってしまった3.11。家族に再会できたのが、震災から1週間後だった、という人も少なくなかった。
しかし、17年前と違って、携帯電話や災害ダイヤル、Twitterやmixi、FacebookといったSNSサイトなど、連絡手段も発達した。しかし、被災地に赴いてわかったことは、こうしたツールのほとんどが生かされていなかったということだ。
携帯電話は震災直後からしばらくの間は不通状態、災害ダイヤルは家族間で浸透していない。GoogleやYahoo!にも安否を伝えられる特設サイトもあるが、やはりまだ認知度が低かった。東日本大震災の被災者はどうやって家族と再会することできたのか。
「私たち家族は、地震が起きてはぐれてしまったら、翌日のお昼にどこどこに集まるって決めてたんです。そういう家族は結構いたみたいで、たくさんの人が翌日に再会できたみたいです」(石巻市在住・60代主婦)
しかし、全てをのみ込んだ巨大地震ではこんな問題も当然発生した。
「待ち合わせに決めていた建物が流されてしまったんです。翌日、大体この辺かな、と思っていた場所に行ったんですが、街の景色が変わりすぎて、よくわからなかったんです」(多賀城市在住・20代学生)
そんなときに役に立ったのが、阪神・淡路大震災のときにも活躍した避難所のメモ書きだ。震災翌日から、避難所を歩き回って家族に向けてメッセージを書く人は今回もたくさんいたという。
「みんな毎日、避難所を歩き回って家族や友人を捜していました。自分では見つけられなかったんですが、友人が“○○の避難所にお母さんがいるって書き込みがあったよ!”って教えてくれたんです」(東松島市・20代学生)
※女性セブン2012年3月29日・4月5日号