【書評】『教授のお仕事』(吉村作治著/文藝春秋/1680円)
【評者】池内紀(ドイツ文学者・エッセイスト)
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ながらく「大学の先生」は職業の別格だった。象牙の塔にこもり研究に明け暮れして、多少とも世間とズレていても大目に見てもらえる。古き良き時代のお伽噺である。大学が経済原理と文科省管理体制の中に据えられ、教育に効率と有用性が求められるとどうなるか。しかも少子化時代に突入して学生が年々へっていくのだ。
『教授のお仕事』に小説スタイルで、ことこまかに報告してある。受験生勧誘のための高校出張講演(必ず笑いをとる)。トラブルを起こした学生の対応策のための緊急教授会、講義中にメールを打ち合っている学生の大群、丸写しのレポート、セクハラ防止委員会の機密情報が雑誌社に洩れた一件……。
「本当にそうだ。大学ってサービス産業だ」学生へのコンサルティング・サービスのあいまに人事があり、おのずと学部長狙い、腰ぎんちゃくの介入、対抗馬の策動等々、組織におなじみのドタバタ年中行事が控えている。
高名なエジプト考古学者が小説スタイルで大学報告を思いついたのは、ことさらフィクションをひねり出さなくとも、事実をなぞりさえすれば小説になると気づいたからだろう。ユーモアをまじえないと語りようがなく、実情を述べ、経過を忠実に再現したまでなのに、それが小説としか思えない。
ホテルまがいの建物の写真と、夢のような教育体制と、くすぐったいようなキャッチフレーズで学生を募集していても、八〇〇ちかくある四年制大学のうちの私大は半数が定員割れで、さらにその半数は定員の半数にすらとどかず募集停止の寸前。日本の大学それ自体がブラック・ユーモアをそっくり地でゆく存在なのだ。
考古学ではモノのかけらを掘り出し、こまかくつなぎ合わせて、あり得た像に復原する。退屈な教授会の間、吉村教授は一心不乱に象牙の塔の発掘をしていたのだろう。土をかき分け、かけらをつなぎ合わせると原寸大のアカデミーの墳墓があらわれた。
※週刊ポスト2012年3月30日号