3月16日に息をひきとった「戦後最大の思想家」吉本隆明氏(享年87)。全共闘運動の思想的支柱だった吉本氏は、80年代に入ると大衆消費社会を肯定的にとらえる思想家となった。その一つの象徴が、雑誌『an・an』1984年9月21日号に掲載された2ページ記事である。
もんぺや軍服、あるいはヌードに言及しながら展開するファッション論とともに、コムデギャルソンの服を身にまといモデルをつとめる吉本氏の写真が載っている。なお、この記事は後に作家・評論家の埴谷雄高氏から「資本主義のぼったくり商品を着ている」「それ(記事)を見たらタイの青年は悪魔と思うだろう」と批判した。吉本氏はこう答えた。
〈先進資本主義国日本の中級ないし下級の女子労働者は、こんなファッション便覧に眼くばりするような消費生活をもてるほど、豊かになったのか、というように読まれるべきです〉(『重層的な非決定へ』)
同じ1984年に刊行した『マス・イメージ論』では、中島みゆきや糸井重里氏などを取り上げながら、マスメディアに登場する言葉やイメージを解読した。その頃、糸井氏とも親交を結ぶ。
1980年代から1990年代には、吉本氏は大衆から批判を浴びる存在にもなった。
1982年1月に作家36人の連名で掲載された新聞広告「文学者の反核声明」に端を発した反核運動は、同年5月には2000万人もの反核署名を集めた。この運動を吉本氏は批判した。東京工業大学大学院教授の橋爪大三郎氏が指摘する。
「科学者の訓練を受けた吉本氏は、科学が時代を拓く先進性を持っていること、同時に危険と限界を持っていることを弁えていました。ナイーブな反対に見えて、政治的文脈を隠し持った当時の反核運動に反対したのはそのためです。大勢がバランスを欠いて一方向に流れる時に、氏の危機意識が働いたのでは」
1995年3月に発生したオウム真理教による地下鉄サリン事件について、9月5日の産経新聞のインタビューではこう答えた。
〈うんと極端なことを言うと、麻原さんはマスコミが否定できるほどちゃちな人ではないと思っています。これは思い過ごしかもしれませんが、僕は現存する仏教系の修行者の中で世界有数の人ではないかというくらい高く評価しています〉
この“麻原擁護”の発言は知識人の批判を呼び、産経新聞社には抗議の電話が鳴り止まなかったという。
※週刊ポスト2012年4月6日号