大阪市内のマンションで我が子を虐待死させた下村早苗被告(24)は最終意見陳述で、涙を流した。
「もう一度2人を抱きしめたい。こんなひどい母親ですが、私はこれからも2人の母親でいます。一生2人を背負って、罪を償って生きていきます」
弁護側は、当時の下村被告が離婚間もなく、特殊な心理状態にあって殺意はなく「保護責任者遺棄致死罪に留まる」と主張した。だが、3月16日に下された判決は懲役30年。下村被告の殺意が全面的に認められた形だ。ネグレクト(育児放棄)として前歴なき量刑を負うことになった下村被告の背後に横たわる「社会の闇」を杉山春氏(ノンフィクションライター)がルポルタージュする。
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名古屋でキャバクラ嬢として勤めながらの子育ては大変だったという。子どもたちは次々に熱を出し、医者には「お母さんと離れたくないイヤイヤ病ではないか」と言われた。仕事を休めば収入が下がる。
2009年10月に早苗さんは新型インフルエンザに罹患する。幼い子どもが命を落とすというニュースが流れていた。元夫と実父にそれぞれ子どもを預かって欲しいと助けを求めたが、どちらからも仕事があると断わられた。
同じ頃、第二子の楓ちゃんの1歳の誕生日を祝いたいと元夫を動物園に誘ったが、これも断わられる。しかも、当日は誰からもお祝いのメールや電話がなかった。
「私や桜子(長女)や楓のことは、なかったことにしたいのかなと思いました」
それまで子育てを頑張って来た早苗さんが新しく恋人を作るのは、それから約1週間後だ。月末には職場を変わった。借金が返せなくなり、子どもを見てくれた友人とも疎遠になる。早苗さんの中で何かが壊れた。
2010年1月18日、早苗さんは2歳8か月になった桜子ちゃんの手を引き、1歳3か月の楓ちゃんをベビーカーに乗せて、大きな荷物を持って、大阪ミナミの老舗風俗店に面接に行った。桜子ちゃんは笑顔で早苗さんに甘え、楓ちゃんはぷくぷく太っていた。
対応した同店主任のMは「子どもたちのために学資保険に入りたい」と応募動機を語る早苗さんを「まじめな人だと尊敬した」と事件後供述している。
Mは店から徒歩10分ほどのところにある単身者向けマンションを寮として提供し、子どもたちのために託児所を探した。
Mはこの日、早苗さんとセックスをした。待遇を決め、生活全般を管理する彼を早苗さんは拒否できない。それに中学時代に性暴力を体験しており、男性の性的な働きかけを断わりにくい。レイプされる恐怖より、無抵抗を選んでしまう。
そのまま、新人女性として仕事に入った。同店は、全身を重ねあわせて客を愛撫するマットプレーを売り物にしていた。風俗のなかでもハードな職場だ。
深夜12時に仕事が終わり、託児所まで迎えにいった。
桜子ちゃんが泣きながら駆け寄ってくる。泣いている子を放置している職員の働き方が腑に落ちない。二度と子どもたちを預けなかった。
仕事中、レイプされたこともあったようだ。若い女性が次々参入し、風俗嬢同士の競争は厳しい。仕事そのものが激しいストレスだ。
3月に入って、客としてきたホストと恋仲になった。マンションに戻らない時間が長くなる。
「家に帰ると、桜子と楓がいるのが嫌だった。桜子と楓が嫌いなのではなくて、(二人の周囲に)誰もいない。その時の状況全てが嫌だった」
早苗さんは桜子ちゃんに自分を重ねていた。桜子ちゃんは、幼い時、母に置いていかれた自分自身だ。自分の姿を直視できない。
弁護士が聞く。
「6月9日に2食分を残して部屋を出ましたね」
「戻らないつもりは全然ありませんでした」
「一般的には、食事と水がないと死んでしまうことはわかりますね」
泣きながらうなずく。
「それが50日間続きますが、頭に浮かびませんでしたか」
「考えないようにしていました」
「今思うと、どんな感じですか」
「考えが浮かばないわけではないので、上から塗りつぶすような感じでした」
「子どもたちがいなくなって欲しいという考えは?」
「ありません」
早苗さんの罪とは何か。それは自分に向けられたあらゆる攻撃や暴力、拒否に反撃せず、逃げ続けたことだ。感覚を塗りつぶし、全てを受け入れた。
今、SOSのサインを出せない母親は、早苗さんだけではない。
※週刊ポスト2012年4月6日号