鋭い変化でバッターの視界から消える。球筋は見えるのに、当たったと思ったらバットが空を切っている。たった一球のウイニングショットを武器に、球史に名を刻んだ男たちがいる。開幕直前、プロ野球をもっと楽しみたい、知りたい読者のためにお届けする、知られざる魔球列伝――。
野村克也氏が「投げさせすぎたことを今でも悔やんでいる」と語るのが、日本一の高速スライダーを放った伊藤智仁(元ヤクルト)である。カーブやフォークといった“縦軸”の変化球の流れを変えた張本人といっていい。故障によって実働は6年間に過ぎないが、今もファンの脳裏に刻まれる。当時チームメイトだった広澤克実もこのように証言する。
「伊藤の球はベース一つ分曲がったと思う。右打者にとっては背中から曲がってくるのでまず打てない」
広澤は魔球の条件は、プロの打者が狙い球を絞っていても打てない球だと語る。その意味で広澤があげたのが藤川球児(阪神)の“火の玉”ストレートである。
「通常の直球とは異なり打者の手元で浮き上がってくるように伸びる」(広澤)
藤川の魔球誕生の契機となったのは2005年4月21日の巨人戦。藤川は通算500本本塁打まであと1本だった清原和博と対峙していた。フルカウントからフォークで清原を空振り三振に打ち取る。
が、ストレートで勝負してくると信じて疑わない清原は「10対2(阪神がリード)で、2死満塁でフォーク。ちゃうやろ。ケツの穴小さいわ」と激怒。藤川は悔しい思いを味わう。
それから2か月後。リベンジの舞台は甲子園だった。前回と同じカウントで今度は149kmのストレート。バットは虚しく空を切った。試合後、清原はいった。
「僕が20年間見てきた中で最高のストレートです」
これに対し藤川も答えた。
「あれから真っ直ぐを磨いて結果が出るようになった。清原さんに育ててもらったような気がする」
※週刊ポスト2012年4月6日号