今年は新日本プロレスと全日本プロレスが旗揚げ40周年を迎える。プロレスは戦後日本文化の象徴の一つとなっているが、1962年にはプロレスを見ていた老人視聴者がショック死するなど、世間を揺るがしたプロレス事件簿も多い。
そうした事件簿のひとつが、「ジャンボ鶴田の全日本プロレス就職」(1972年10月)だ。
連合赤軍事件があったこの年、日本プロレスが分裂し、新日本プロレス・全日本プロレスが創立。旗揚げ直後の全日本に入団した鶴田は、会見で「プロレスは僕に最も適した就職と思い、尊敬する(ジャイアント)馬場さんの会社を選びました」と発言。写真は鶴田のダブルアーム・スープレックスだ。
撮影■木村盛綱
※週刊ポスト2012年4月13日号