森稔会長(享年77)亡きあとの森ビルはどうなるか。経営学者の長田貴仁氏は、森ビルが数多くのプランを成功させた要因を分析した。
「まず、上場していないファミリー企業という点が大きい。おかげで、オーナーの森さんの意向が反映できた。それに、彼はお坊ちゃん育ちだけど、苦労人でもある。森さんの心情は、長屋の大家さん的なんです。協力して皆の生活を豊かにしたいと願っていました」
森氏の宿願は、六本木ヒルズで叶ったのか――しかし、回転ドア死亡事故が起こり、その管理体制に対し大きな非難を浴びた。
ライブドア事件も舞台は六本木ヒルズだった。ここに入居するIT企業や、外資系金融会社へのバッシングは、高い賃料をものともしない“勝ち組”への怨嗟も色濃かったはずだ。
また、リーマンショックで空室率が上昇するという苦難も経験している。
2008年には視座を東京から上海に移し、492メートルの「上海環球金融中心」を完成させた。森氏と東大同期卒で元衆院議員の杉浦正健氏はいう。
「当初はビルの先端に丸い空洞を設置するはずが、ネットで“日の丸だ”と叩かれ、政府も介入する事件となり、四角に計画を変更せざるを得なかった。中国との対応は大変だ、と森さんはこぼしていました」
2011年、森氏が社長の座を副社長の辻信吾氏に禅譲した際も、数々の憶測を呼んだ。経済ジャーナリストの松崎隆司氏が、この人事を読み解く。
「娘婿の森浩生氏に継がせなかったのは、浩生氏にもっと現場経験を積ませるという意図があったのだと思います。もっと勉強してから、社長になりなさいということだったんでしょう」
松崎氏には、今後の森ビルの進路も占ってもらった。
「これまでは森さんの卓越した資金調達能力と故人の人脈を生かしたテナント誘致で壮大なプロジェクトを動かしてきましたが、今後は厳しい時代背景もあって難しくなるかもしれません」
森ビルの広報室は、
「森会長の街づくりに対する情熱、強い想いは、森ビルという組織、社員に深く根付いています。これからも、森ビルが目指すべき方向にいささかのぶれもありません」
とコメントした。
人口の再流入と都心回帰が顕著となる一方、近い将来の地震への危惧も高まる東京――数々の課題が山積するこういう時こそ森稔という稀代の人物がどう都市をデザインしようとしたか、見てみたかった気もする。
※週刊ポスト2012年4月13日号