2009年にブームとなった「食べるラー油」は、頻繁に使うことがない地味な「調味料」を「おかず」の定番に変えた。結果、ラー油の売り上げは約10倍に増加した。
従来の固定観念から脱却した異なる視点でアイデアを生み出すという「ラテラル・マーケティング」の成功例は、他の食品ジャンルに携わる人々に大きな刺激を与えることになった。
代表的な和のおかずである納豆。『おかめ納豆』で知られる老舗タカノフーズ(茨城県)の研究所所長・田谷有紀さんもそのひとりだった。
一般家庭での米食の割合は約60%と2004年以降大きな変化は見られない。だが、納豆の金城湯池であった朝食でパン食をとる家庭が増えた結果、納豆などの「定番食品」の売り上げは微減が続いてきた。
「納豆はこのまま減少し、淘汰されてしまうのか――」
田谷さんは「アイデアはカタチにして初めて力を発揮する」と、これまで温めてきたアイデアを実現すべき時が来たといきり立った。
3年ほど前、田谷さんの周辺で、パンに納豆をのせて食べる人が意外に多いことに気がついた。納豆の本場茨城ならではの事象なのか、あるいは他地域にも広がっているのか――。
本格的に調査を開始したのは2010年秋のことだった。その結果、パンに納豆をのせて食べたことがある人は6.8%。田谷さんは「たった6.8%」とは受け取らなかった。むしろ「ご飯用の納豆でこの数字。パン食に合った納豆を作れば、数字はもっと上がるかもしれない」とポジティブに考えた。
脳裏には「食べるラー油」の成功譚がよぎる。
田谷さんは、試作品を作って、役員会議に「パン食向けの納豆」の企画を提案することにした。
本格的に開発をスタートした際には本物のバターを使用することは避けた。納豆には健康食のイメージがあるが、バターは対極にある食材。コレステロールを気にする人も多い。バターは風味にとどめた。
開発が順調に進んでいた2011年3月11日。東日本大震災が発生。研究所も壁が崩れ、大型冷蔵庫が倒れるなど、大きな被害が出た。開発も一旦中止。周囲からは秋発売は無理という声も上がった。田谷さんは、部下に「いつでも再開できるよう、準備だけは怠らないように」と指示を出した。
その時、社長から一本の電話がかかってきた。社長は開発の進捗状況を尋ねた上で、こういった。
「試食は一週間続けてくれ。飽きが来るなら味の改善が必要だ。この商品は何がなんでも成功させよう。今の日本を元気にするためにも」
田谷さんはこの電話に身を引き締めた。
納得のいくバターしょうゆ風味のたれと納豆が6月には完成。最終の試食を試みた社長も納得の笑みを浮かべてこう付け加えた。
「すぐに結果が出なくてもいい。10年は売ろう」
こうしてパン食によくなじむ『ごぱん納豆』は2011年8月に発売。すぐさま月間60万食を売るヒット作になり、納豆を和洋いずれにも合う食材に変えた。
※週刊ポスト2012年4月13日号