3.11以降、「宗教」の存在感が増している。「祈り」という言葉や、「手を合わせる」といった行為を見聞きするのが、これほど多かった1年はないだろう。巨大な自然災害が引き起こした理不尽な現実を前に、人々は理屈ではない何かに救いを求めた。いままさに「宗教」に注目が集まっているが、彼らは原発についてどう考えているのか。本誌は、原発問題へのスタンスについて、アンケート取材を行った。創価学会は「脱原発依存」、幸福の科学は「原発推進」を主張するなど対照的だったが、一方で「見解を示さない」という回答もあった。
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神社本庁は「先ずは多角的な検証が充分なされることが望ましいと考えるので、回答は差し控える」(広報部)と対応。
なお、神社本庁は過去に原発容認と取れる声明文を発表している。原発について「脆弱なエネルギー供給構造を有するわが国において、その役割は大きく、(中略)基幹電源を選択する場合、有力且つ重要な選択肢であるとの原子力委員会の見解」を現時点では否定しない、としていたのだ(「神社新報」2004年8月30日付)。以後、原発に関する公式見解は示していない。福島第一原発事故を受け、慎重な態度に転換したことが窺える。
信徒数約100万人とされる真如苑も、「教団としての公式見解は持ち合わせておらず、個々の信者の判断に委ねている」(広報課)と回答。「原発事故の影響を受けて苦しむ信者もいれば、電力の安定供給に不安を抱いている信者もいる。教団本部としては、そのいずれにも寄り添って心の安寧の一助とならなければならない」(同前)という考え方だ。
そのほか、ダライ・ラマ14世も、自らの立場を明示していないが、意見表明を控えるという考え方は一部では根強いようだ。
※SAPIO2012年4月25日号