「きんは100シャア、ぎんも100シャア」――そんな名セリフで日本中を沸かせた双子の100才、きんさんぎんさん。あれから20年が経ち、ぎんさんの4人の娘たちもいまや平均年齢93才、母親譲りのご長寿だ。彼女たちがいま、元気で幸せいっぱいに暮らしている陰には、母親から授かった教えがある。
1992年から沸騰しだした“きんさんぎんさんブーム”は、高齢化する社会を背景に、年を追うごとにエスカレートした。
年子さん(長女・98才):「ときには、お祭り騒ぎみたいに、ふたりのもとにいっぺぇ人が押し寄せてきた。私らもテレビに一緒に出たり、あっちこっちのイベントにおばあさんたち(きんさんぎんさん)と参加することで、世間のことがようわかるようになっただが」
百合子さん(四女・91才):「それにな、おばあさんたちに負けちゃおれんと、私ら4人の顔も生き生きするようになった」
千多代さん(94才):「ほんと、百合子のいうとおりだな」
そんな“きんぎん現象”は、それから7年あまり続いた。そのアイドル並みの人気が、徐々にかげりを帯びるようになったのは、1999年(平成11年)、秋も初めのことだった。妹・ぎんさんは、すこぶる元気だったが、姉のきんさんが体調をくずし始めたからだ。
テレビの取材やイベントなどにも、ぎんさんがひとりで姿を見せることが多くなる。明けて2000年(平成12年)、お正月が過ぎたころ、きんさんは風邪をこじらせて、寝込む日が続くようになった。そして1月23日、きんさんは、眠るように107才の生涯を閉じた。
かけがえのない姉・きんさんの訃報を、娘の美根代さんから知らされたぎんさんは、
「えっ、な、なんだで!?」と絶句した。そのあと、「まー、どうするだ、どうするだぁ」と大声で繰り返し、ベッドに横になると、頭からすっぽりと布団をかぶって黙り込んだ。
美根代さん(五女・89才):「明治生まれの母は、人に涙を見せるのが嫌だったから、私にさえも涙を見せとうなかった。そいだで、布団をかぶってしまっただがね。ほんと、きんさんが亡くなったってことは、母にとって言葉で表わせん衝撃だったと、あのとき、しみじみ思ったよ」
その日、午後4時過ぎ、傷心のぎんさんは、自宅で報道陣に囲まれた。涙を見せまいと必死で堪えたぎんさんは、
<こんなに悲しいことはありましぇん。長い間、親子みたいに生きてきたで…、あの人は、私の親のようでした>
そういうと「ふう」と息をつき、横に倒れそうになった。その右目には、いまにもこぼれそうな涙の粒が光っていた。
夕暮れ、美根代さんに付き添われて、きんさんが暮らした成田家を訪ねたぎんさんは、ものいわぬ姉と対面した。
「なんで…、しゃべらん。なんで、こうつべた(冷たく)なったあ」
そうつぶやき、通夜から帰ったあと何も食べず、ベッドの上で、頭から布団をかぶってしまった。
美根代さん:「やっぱり、きんさんが亡くなってから、気力がぐんぐん衰えただがね。競争する相手がなくなって、母の胸ん中にぽかーんと穴が開くようになったのは、それからのことだったにゃあ」
※女性セブン2012年4月26日号