デビュー戦は「最悪の出来」だった。テキサス・レンジャーズのダルビッシュ有は、日米のファンに微妙な余韻と大きな不安を残してマウンドを降りた。初登板をテレビ観戦した高校時代の恩師・若生正廣氏は、ある“異変”に気づいていた。MLBアナリストの古内義明氏がリポートする。
* * *
「メジャーのマウンドに有がいるのは夢のようでしたよ。本当に立派になった」
そう感慨深くダルビッシュ有のデビュー戦を振り返ったのは、育ての親である若生正廣である。東北高校監督として春夏7度の甲子園出場を果たし、2003年夏にはダルビッシュを擁して準優勝を成し遂げた。現在は福岡にある九州国際大学付属高校野球部監督となり、昨年の選抜では同校を準優勝に導いた名将だ。
遠く離れたテキサスの地で、デビュー戦を迎えたダルビッシュ。キャンプから始まったフィーバーは最高潮に達していた。が、その期待感はすぐにしぼんだ。ダルビッシュは初回だけで42球を投げ、被安打4、3四球で4点を失う最悪の立ち上がり。「ユー!」と叫んでいたファンも、一斉に静まり返った。
「緊張というより興奮していたんだと思います」
恩師はこう弁護する。メジャー最強打線のおかげで勝ち投手の権利を得たが、6回、イチローに3安打目となる“メジャーの洗礼”を浴びたところで無念の降板となった。奇跡的な初登板初勝利(※)をものにしたが、“1億ドルの男”の称号には、程遠いデビュー戦だった。試合で目立ったのは、日本では滅多に見られなかった制球に苦しむ姿だ。
「日本に比べてメジャーのボールは滑りやすい」といわれる。それに、湿度の低い乾燥した気候が拍車をかけ、日本人投手の指先の感覚を狂わせてきた。しかしこの試合ではその言い訳は通用しない。ダルビッシュは開幕前のマイナー相手の試合後に、「(平均湿度30%と乾燥しているキャンプ地・アリゾナに比べ、テキサスは)こんなに投げやすいとは思わなかった」と自信を口にしていた。
しかも、デビュー戦当日は早朝から雨が降り、湿度は70%まで上昇していた。つまり、投手にしてみれば最高の条件が整っていたのだ。ボールを動かす卓越した技術で、あらゆる変化球を決め球にしてきた男が、ボールを操れなければ、「並の投手」になってしまうことを自ら証明してしまったといえる。苦しむ教え子を見た若生は、次のような修正ポイントを示した。
「いい時の有は左足を上げたとき、鶴のように軸足1本で立ち、十分にタメができているが、(デビュー戦では)投げ急いで体重移動ができていなかった」
※MLBの公式サイトは「メジャー初登板で1回に4失点以上して勝利投手になったのは、1910年のカージナルスのスティール以来、102年ぶりの珍記録」と紹介した。
※週刊ポスト2012年4月27日号