あれから季節がひと巡りして、再びの春。少しずつだけど“復興”が形になってきた、と風の便りが耳に届く。たとえば、被災した岩手県の三陸鉄道が田野畑・陸中野田間で運転を再開して北リアス線の85%が復旧。“乗り鉄”が遠方から訪れてきているとか。市場にも活気が戻りつつあるというので、さっそく『女性セブン』の名物記者・オバ記者(55才)も、岩手・宮古市に向けて出発進行~!
* * *
三陸沖の海からの恵みを背景に、漁業と観光で賑わっていた宮古市を大津波が襲ったあの日。死者・行方不明者は約600人。全半壊した家屋は約4500戸。海岸部にある10か所以上の集落が壊滅した。
リアス式海岸の入り組んだ地形で勢いを増した津波は、最大40.5 mの高さで襲来したという。
今回、宮古駅から三陸鉄道北リアス線に乗車したオバだが、三陸鉄道はまだ余震の続くなか、3月16日には運転を再開していた。一部の区間は無料で列車を走らせたそうな。
「汽車をなくしてバスになるなんて話も出ているんですよね。釜石まで汽車じゃ行けなくなるのかしらね…」
ボックス席の正面に座っていた初老の女性に声をかけられた。
JR東日本が地元に示した仮復旧案は、被災路線のJR山田線、大船渡線、気仙沼線の3路線跡を舗装して、バス専用道とするBRT(バス高速輸送システム)。地元住民は「廃線につながる」と反発しているが、山田線がBRT化されれば、宮古駅から釜石までの鉄道のルートがなくなる。
三陸鉄道の運転課長・及川修さんに話を聞くと、こんな答えが返ってきた。
「震災直後から動かせる期間は動かすということでやってきました。鉄道はただの輸送手段というだけじゃないという思いがわれわれにはあるんですよ。いつもと同じ時刻に同じ列車が駅に到着して出発する。それがどれだけ地域住民に安心感を与えるか。地域振興のためにも鉄道は不可欠です。町全体の活気がなくなってしまいます」
南リアス線などはまだ不通だが、2014年4月には北リアス線・南リアス線を含めた全面復旧を目指しているという。また、その昔、駅員さんがパチパチとハサミを入れていたころの硬い切符“硬券きっぷ”が、毎年赤字の三陸鉄道を支援しようと、いま飛ぶように売れているのだそう。
宮古駅など6駅と三陸鉄道の通信販売で手に入れられるこの切符、もちろんオバも1枚買ったら海と同じ色の小袋に入れてくれた。
その翌日。偶然、田野畑・陸中野田間の運転再開の催しに遭遇。景気のいい「ふだい荒磯太鼓」が鳴り響いていた。
「列車が再稼働するってこういうことなんですね」――編集Oくんが珍しくポツリと感傷的なことをつぶやいた。
※女性セブン2012年4月19日号