1962年に『Love Me Do』でデビューしたザ・ビートルズは、今年デビュー50周年を迎える。人気絶頂期の彼らと心を通わせた日本人女性が、『ミュージック・ライフ』元編集長の星加ルミ子氏だ。星加氏が、知られざるビートルズの秘話を述懐する。
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私がシンコーミュージックに入社し、音楽記者として働き始めた頃の『ミュージック・ライフ』は業界誌に近く、部数も微々たるものでした。それが1963年の秋頃から制服を着た女子高生が編集部にぞろぞろと来ては「ビートルズを載せて!」と直談判するようになった。ものは試しと1964年4月号で表紙をビートルズにしたら、まさかの完売。書店さんから「表紙だけ破いて持ってかれた」なんて苦情があったくらい、反響があったんです。
この一件で味をしめた『ミュージック・ライフ』はビートルズの特集を毎号組むようになりました。しれっと定価を上げ始めたのも、この頃から(笑い)。
そして当時の編集長から「イギリスに行って、インタビューをとって来い」と勅命を受けたのです。大卒の初任給が2~3万円、イギリスまでの航空運賃はその10か月分もした時代に、ですよ。しかも、「肩書きがないとなめられる」と、入社4年目なのに編集長の肩書きまで与えられて……文字通り“命がけ”の作戦を遂行して、なんとか単独インタビューに漕ぎ着けました。一歩間違えば警察沙汰になっていた?(笑い)。
初対面は着物姿で臨み、それが功を奏した初インタビューで知己を得ると、1966年の来日公演でも単独取材を、続く全米ツアーでは帯同を許され、『ルミ』と名前で呼ばれるようになりました。彼らはいつも歓待してくれ、私は存分に取材することができたのですが、その成果をすべて書いてきたかといわれれば、答えはノーです。
例えば、日本公演の際にジョンが放った言葉はあまりに意味深でした。「ビートルズは間もなく解散します。過去の栄光に乾杯!」って……私は当時の原稿にこの一件を書けませんでした。書いたら現実になりそうで怖かったし、何よりファンの夢を壊したくなかったから。
月日が流れた今では、むしろ私が見たまま、等身大のビートルズを語ることも大切だと思えるようになりました。歴史に残るバンドの一つの側面だけですが、常識やぶりのものばかりでした。
※週刊ポスト2012年4月27日号