宗教に今、異変が起きている。スピリチュアルスポットがブームになる一方、葬儀の簡略化などで寺院の経営基盤は大きく揺らいでいる。異変の陰に何があるのか、宗教学者の島田裕巳氏が解説する。
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人々と宗教の関わりが薄くなるなかで、今起きているのが、葬儀の簡略化や「戒名はいらない」という人の増加である。
日本の葬式費用は平均231万円(2007年の日本消費者協会の調査)で、世界一高い。葬式にいくら費用をかけても何かが残るわけではなく、祭壇はすぐに壊され、高価な棺も火葬されればただの灰になる。通夜や葬儀・告別式に200万円を超す大金をかけることに、多くの人が疑問を感じるのは当然だろう。戒名料として高い金を支払うことに理不尽さを感じる人も多い。
今年2月から3月中旬にかけて行なわれた読売新聞の調査によれば、葬式を「簡素に」と答えた人は92%、戒名は「必要ない」が56%に達した。近世のはじめ、今から400年ほど前に成立した葬式仏教の基盤は、確実に崩壊しつつあるのだ。
近著『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』(幻冬舎新書)でも触れたが、そもそも菩提寺として檀家との交流をほとんどせず、葬式のときだけ高額な御布施や戒名料を取ろうというのでは理屈が立たない。
大阪などでは月命日ごとに僧侶が檀家の家を訪れてお経を上げるなど、いまなお寺は身近な存在だが、東京の寺院のほとんどは葬儀の数の多さにあぐらをかいている。今後、葬儀離れ、戒名離れによって深刻な影響を受けるのは必定だ。
とくに高齢者の葬儀には参列者が集まらないため、今後は高齢化とともに簡略化した家族葬が増え、寺が葬儀で儲けることはますます難しくなる。そうしたお金が末寺を通じて本山に上げられる集金システムは、すでに崩壊の危機に瀕しているのである。
長い歴史を持ち、伝統に結びついた神社仏閣は、修学旅行客や観光客を集めて拝観料でやっていけるが、それは全国7万7000ある寺院のごく一握りでしかない。地方の小さな神社は、すでに朽ち果てているところが相次いでいる。
寺院は対策として永代供養墓を作るなどしているが、寺の関係者は「人が集まらずに借金だけが増える」という悩みを抱えている。高額のお金を払う購入者は、その寺が本当にきちんと供養してくれるのか、住職の「人間性」を厳しく見るからだ。
もともと寺にはサービス業の側面があるが、これからは一層、墓を売るにも参拝者を増やすにも、一般の人に満足してもらえるようなサービスを提供しなければならない。
※週刊ポスト2012年5月4・11日号