高度経済成長が一息ついた1974年、雑誌・『GORO』は生まれた(1992年に休刊)。学生運動に乗り遅れ、後に「シラケ世代」と呼ばれる若者たちが大学生になる頃だった。
「GOROは74年を“人間元年”と考えたい」──巻頭にはこんなコピーが躍った。国の成長を追い続けた時代から、人間個人の幸福を求める時代への転換期だった。創刊号のグラビアには、デヴィ夫人のヌードが載った。その後、写真家・篠山紀信氏が表紙を担当。石田えり、浅野ゆう子ほか時代を象徴する数多の女優が表紙を飾り「激写」シリーズでも次々と女優を撮り下ろした。写真家・渡辺達生氏も「衝撃館」ほかで撮り下ろす。
グラビア目当てで雑誌を手にした若者の目をくぎ付けにしたのが、“GOROのSEX記事”だった。1980年をまたいで入ったバブル期。DCブランドに身を包んだ大学生が六本木を闊歩した。『GORO』は、彼らの性のバイブルに。
「モーテルパーペキ利用法」「Cたいこといっぱい」「合コン合ハイ相関図によるキャンパスめぐり愛前線」「バージンちゃんまるごと1000人の性期待度」
ひたすら軽いノリだが、記事は若者の本音をつく。
「少数民族“バージン死守派ギャル”は絶滅寸前のトキ並に少ないから、探すのターイヘン」
「キンツマ、フリン女子大生はじめ……ススンだ女たちのNEW YEARは、ひとクラス上の“おませ”がターゲット!」
口語口調、カタカナ、ローマ字を多用する文章は当時、昭和軽薄体と呼ばれ、若者にウケた。
※週刊ポスト2012年5月4・11日号