橋下徹・大阪市長は「大阪維新の会」立ち上げにあたって、「平成維新の会」を主宰する大前研一氏に直接、名称使用の了承を打診した。また、大前氏が政策学校「一新塾」を設立したのと同様に、橋下氏もまた「維新政治塾」を通じて政治家の養成に取り組もうとしている。一新塾の経験がある大前氏の目に、国政を睨んで動き始めた橋下氏の言動はどう映るのか。大前氏が解説する。
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浪速の地から江戸に攻め込むための“兵隊”を募集したところ、予想をはるかに超える3326人もの応募があったため、彼は国政進出を宣言せざるを得なかった。今後、書類選考で残った2025人を、さらにレポートや面接で800~1000人に絞り込み、最終的には500人にして1年以内に予想される次期総選挙に備えるという。
しかし、私が啓発された市民を養成するための政策学校「一新塾」を18年間運営してきた経験から言えば、事はそう簡単ではない。
これまでに「一新塾」からは約4000人が巣立ち、そのうち100人近くが国会議員や地方議員や市長になっている。卒塾生のうち、ようやくそのくらいが政治家として飯を食っていけるようになった、という状態である。
ということは、もし「大阪維新の会」が即席で教育した塾生たちを総選挙に擁立して風が起こり、300議席を獲得したとしても、それは小沢チルドレンよりレベルの低い“橋下ベイビーズ”が生まれるだけである。そんなことになったら、橋下改革は100%失敗する。
それどころか、おそらく日本はいっそう迷走し、破滅へと向かうだろう。なにしろ小沢チルドレン100人で、この国の政治は大混乱しているのだから、さらに悲惨な状況になるのは火を見るより明らかだ。したがって橋下市長は、いざとなったら江戸に兵を進めるぞ、というファイティングポーズを取ったまま、大阪に居てとことん大阪を磨き続けるべきである。
※SAPIO2012年5月9・16日号