1974年に誕生し、若者とともにバブル終焉まで走り抜けた雑誌『GORO』。自他共に認める“雑誌小僧”であり、『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』の著書もある評論家の坪内祐三氏が懐かしの『GORO』を回顧する。
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こういう機会に調べておかなければと思った『GORO』のバックナンバーがある。号は特定出来ないが確か一九七九年の前半に出た号だ。
後半のカラーグラビア頁(つまり激写ではない頁)に当時ユニチカのマスコットガールだった紺野美沙子が載っていた。
そのキャプションに「クリスタル」という言葉が盛り込まれていたのだ。
『なんとなく、クリスタル』(河出書房新社 一九八一年)がベストセラーとなった当時、ある週刊誌で田中康夫は、好きなタイプの女性として紺野美沙子の名前を挙げていた(そのしばらくのちに口汚く罵ることになるのだが)。
それを目にした時、私は、『GORO』を思い出した。
田中康夫はあのキャプションを参考にしたに違いない、と私は直感した。
調べたらそれは一九七九年四月十二日号だった。
そしてそのキャプションにこうある(点の打ち方に注目してもらいたい)。
「私、さわやかクリスタル」
小学館での調べを終えた帰り、やはり自分の手元に当時の『GORO』を数冊取り戻しておきたいと思い、その手の雑誌を専門とする神保町の古本屋を覗いた。
しかし、さすがは“専門店”だった。つまりそれなりの値段がした。
山口百恵が表紙の号は八千円、アグネス・ラムが表紙の号は一万二千円する。それ以外の号(紀信が激写を撮り始めてからの号)も三千円以上する。
中で、千円の号が一冊だけあった。
一九七六年四月二十二日号だ(激写は初見良子の「銭湯へ行った日」)。荒井由実の連載「ライブ対談」の相手は加藤和彦で、寺山修司と小中陽太郎の対談も載っている。
「ニュー・オナペット登場」というサブタイトルのついた「キミに春を呼ぶカワイコちゃん28人」で紹介されている「カワイコちゃん」の一人に歌手中島みゆき(24)が登場するのが時代を感じさせる。
※週刊ポスト2012年5月4・11日号