「大阪から日本を変える」と豪語し、次々と改革に向けた施策を打ち出す橋下徹・大阪市長。中でも教育改革をめぐって、教職員組合と激しいバトルを繰り広げてきた。自身、教育現場で日教組の偏向体質と闘い続けてきた“ヤンキー先生”こと義家弘介・参議院議員は、橋下氏による教育行政の抜本改革に期待する。
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昭和20年代から現在まで、日教組は教育現場を舞台にイデオロギー闘争を繰り広げてきた。私は、北海道での教員時代やその後籍を置いた横浜市教育委員会、さらに安倍内閣の教育再生会議などを通じ、彼らの実態を具(つぶさ)に検証してきた。そこにあったのは、児童や生徒などそっちのけでイデオロギー闘争にひた走る、驚くべき教師たちの姿だった。
中でも「日の丸・君が代」問題は日教組の偏向体質の象徴である。これまで、“赤い教師”たちは、自らの信条のために、公務員ならば当然守るべき国旗国歌法や学習指導要領を無視し続けてきた。私が入手した北海道教職員組合(北教組)の内部文書によると、「練習段階での一時退席」「全員で校長に抗議」といった“日の丸・君が代闘争マニュアル”まで作成していたほどだ。
こうした日教組の問題に正面から切り込む橋下徹氏の問題提起は、私の認識と共通している。
橋下氏が府知事時代の昨年6月、大阪府では学校行事中の国歌斉唱を「起立により斉唱する」と定めた条例を制定した。思想信条の自由を盾に反抗する勢力を「国旗国歌を否定するなら公務員をやめろ」と一蹴し、混乱が予想された今春の卒業・入学式シーズンを乗り切った。
また、橋下氏が市議会で「教育現場の人事はでたらめ」と指摘したのは、組合が人事を主導している現状を指している。私が教育委員を務めた横浜市でも、組合が人事に介入し、教師の求めに応じて赴任地が決まる「希望と承諾」の人事が罷り通っていた。各教員は、人事で冷遇されないように組合の顔色ばかり窺い、校長や教育委員会の権限は骨抜きにされていたのだ。
その結果、教育現場はどうなったか。
本来、児童・生徒のためにあるべき学校は、教職員が労働者の権利を主張・行使する場になり下がった。教師の協力がなければ学校運営できない校長は、常に組合の圧力に晒され、手足を縛られている。組合や事務局に牛耳られ形骸化した教育委員会では、問題が起きた時に誰も責任を取らない……。
教育現場を覆う無責任体制は、「日教組支配」の弊害と断じるほかないのだ。
橋下氏が大阪で進める諸策は、“脱・日教組支配”に繋がる施策として評価できる。
大阪府で今年4月から施行された職員基本条例では、同一の職務命令に計3回違反した教職員を免職できると定め、処分を厳格化した。同時に施行された教育関連2条例では、学校運営に関する責任と最終的な意思決定の権限を校長に与えた。さらに、教育行政に対する首長の関与を強化し、保護者の学校運営への参加を定めている。
これらは、組合に支配されてきた公教育を、児童・生徒や保護者など、地域社会の手に取り戻そうとする試みだ。
橋下氏の過激な発言と大胆な手法には反対の声も多い。しかし、教育現場を蝕む「日教組問題」の異常さを明らかにし、全国に発信した功績は大きいと私は思う。
※SAPIO2012年5月9・16日号