橋下氏は「大阪維新の会」立ち上げにあたって、「平成維新の会」を主宰する大前研一氏に直接、名称使用の了承を打診した。また、大前氏が政策学校「一新塾」を設立したのと同様に、橋下氏もまた「維新政治塾」を通じて政治家の養成に取り組もうとしている。ことほど左様に橋下政治には「平成維新」の影響が色濃く出ている。その大前氏の目に、国政を睨んで動き始めた橋下氏の言動はどう映るのか。大前氏が解説する。
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橋下徹市長にこれから期待されていることは、大きく2つあると私は考えている。それはいずれも、今の日本にとって必要不可欠なことである。
1つは、まやかしの政党政治、数で決める政治からの訣別だ。中央の政府は議院内閣制に基づいて政党が動かし、衆議院と参議院の「数」で決めている。数を握ればカネも握って自ずと力を持つので、ビジョンやリーダーシップは要らない。その行き着いた先が今の閉塞した日本である。
小泉純一郎氏以降の7人の首相は誰ひとりとして一国のリーダーたり得ず、衆参ねじれや与党内の抗争によって政治は混迷の度を深める一方だ。象徴的な例は、3月下旬の消費税増税関連法案をめぐる民主党内の混乱である。計8日間で45時間も協議し、乱闘騒ぎまで起こしながら、何も決められなかった。つまり、この国には意思決定の仕掛けがないのである。
言い換えれば、日本には“真の政党政治”も“真の議院内閣制”もないのである。政党は特殊な一部を除いて“個人商店”の集まりにすぎず、順列組み合わせによって村山富市氏のような国民が選んだ覚えのない人物が首相になったりする。そういうとんでもないことが起きるのは、政党政治と議院内閣制にルールがないからだ。今の政治制度では、中央からこの国を変えることはできないのである。
もう1つは、中央官僚の跋扈(ばっこ)を抑えることだ。民主党は「官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ」という原則をマニフェストに掲げて政権交代を果たしたが、実際はここにきて中央官僚の力が自民党政権時代よりも強くなっている。無能なうえに党内が混乱している民主党は、自民党よりも締め付けが弱く、与し易しと見切られたからである。
※SAPIO2012年5月9・16日号