大阪市長・橋下徹氏を理解するために、歴史上のどの人物・思想と類比することが適切なのか。元外務省主任分析官・佐藤優氏が分析・解説する。
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過去のどの政治家と比較すると橋下氏の特徴が鮮明になるだろうか。筆者は、1950年代の米国で活躍したジョセフ・マッカーシー上院議員(1908~1957年)との類比で現在の橋下氏を考察している。マッカーシー上院議員が展開した「赤狩り」(共産党員もしくはその同調者と見なされた者への激しい攻撃)は、マッカーシズムと呼ばれたが、これに橋下市長の手法は親和的だと思う。
米国のジャーナリスト、リチャード・ロービアは、〈マッカーシーは重要な意味での全体主義者ではなかったし、反動でもなかった。こういう用語は主として社会的、経済的秩序にかかわるものだが、かれは社会的、経済的秩序には全く関心がなかった。
マッカーシーが思想、主義、原理の領域においてなにものかであったとするなら、一種のニヒリストであった。かれは根っからの破壊勢力、革命的ビジョンなき革命家、理由なき反逆者であった〉(R・H・ロービア[宮地健次郎訳]『マッカーシズム』岩波文庫、1984年、16頁)と指摘した。
マッカーシズムの嵐が吹き荒れたのは、わずか4年間に過ぎなかった。外交・防衛政策にポピュリズムを持ち込んだマッカーシーは、国益を害する存在になったので、政治、経済、メディアのエリートによって放逐されたのである。
しかし、マッカーシズムによって反共主義が定着し、社会に寛容さがなくなった。橋下氏が敵を探し出し、それと対決する手法を取り続けるならば、いずれかの段階において、政治舞台から排除される。聡明な橋下氏はそのことに気づいているので、方向転換を考えていると思う。その成功は、橋下氏がニヒリズムを克服できるか否かにかかっている。
※SAPIO2012年5月9・16日号