競艇による集金システムを築き上げ、“日本の首領”の汚名を背負った笹川良一と、彼を陰ながら支え、その遺志を継いだ三男・陽平に迫る週刊ポストの新連載『宿命の子』。作家の高山文彦氏が、良一氏の遺体解剖の様子を綴る。
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良一の遺体は手際よくストレッチャーに移され、解剖室に運ばれた。人工のものか自然のものか定かではないが、大理石のような光沢を放つ石質の冷たく固い台の上に横たえられた。俎板の上のなんとやら、である。もうこの部屋にはいった時点から、毀誉褒貶を一身にあびてきた稀代の風雲児の遺体はブツにすぎなかった。医師は日野原重明・聖路加国際病院院長と主治医と、若い病理専門医の三人、あとは陽平がいるだけだ。
「では、はじめさせていただきます」と、主治医が言い、四人で合掌したあと、父は丸裸にされた。さすがに血の気は失せて真っ白だったが、小柄ながら若い頃は空手で鍛え、老いては八〇歳を過ぎてからジョギングをはじめた良一の体は筋肉質で、肩や胸のあたりが隆々と盛りあがっていた。ところが、陽平の目にどうしても飛び込んでくるのは、父の立派な陰茎なのだった。
「ああ、この人より先に死ななくてよかったなと、そのときまた思いましたね。あれはもう、芸術品ですよ。あれだけ外して、もって帰ろうかと思ったくらいに」
と、陽平は笑う。胸の上部から臍のあたりにかけてまっすぐ一筋にメスがいれられ、つぎに臍から左右の脇腹に向かってメスがいれられた。まえの肉が観音開きに左右にひらかれて、白い肋骨があらわれた。肋骨の下部に医師が手をかけてもちあげようとすると、まるで床下収納の扉がぱっくりとひらくように両方の肋骨が顔に向かってほぼ垂直に立ちあがった。こうして隠れていた心臓や肺や胃袋などの内臓が、すべてあらわになった。人間がブツになりかわるこの変わり目の瞬間というものは、何度経験しても不思議な感情に包まれる。
「生きているときに頑張らないと、死んだら毎日が日曜日だぞ。おまえ、退屈するぞ」と、むかし聞いた父の声が陽平の耳によみがえってきた。
(連載『宿命の子』より抜粋・文中敬称略)
※週刊ポスト2012年5月4・11日号