今や、女優もモデルも「自分らしさ」「テイスト感」「フラットさ」を売ろうとしている時代。そんな風潮の中、「結婚」というブランドに強くこだわり固執する長谷川理恵の「馬力」に、作家で五感生活所の山下柚実氏は「痛さ」を感じるという。お茶の間の人々に広がりつつある違和感を、山下氏が解説する。
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「長谷川理恵が妊娠、カフェ経営者と結婚へ」。このニュースに対して、ネット上ではどちらかといえば厳しい反響が目立っています。
「付き合う人以外では話題にならない人」「節操がない」「自己チュー」「男に依存」
反発が目立つのはなぜでしょう。やはり石田純一、神田正輝、今回のカフェ経営者と、別れてすぐ次の男へ乗り換えていく長谷川さんの、身軽で素早い行動のせいでしょうか?
「うまくやり過ぎちゃっている芸能人に対して、視聴者は厳しいんですよ」(「夕刊フジ」4月28日)という分析もありました。
彼女の個人的な内面や人柄については特に関心がないのですが、その「行動のカタチ」に、なにやら不思議な「馬力」を感じ、それがどこから発しているのかと、つい興味を感じてしまうのです。
「結婚」という自分の描いたブランドに強くこだわり固執し、それを完成させることに没頭しすぎて、ちょっと視野狭窄? 気味。お茶の間の人々は、そのあたりに「痛さ」を感じているもようです。
今や、女優もモデルも「自分らしさ」「テイスト感」「フラットさ」を売ろう、としている時代です。そんな風潮の中、長谷川さんは一人、浮いて見えるのかもしれません。「時代の空気から浮いている」ことに本人が気付かない場合は、それが「哀れみ」の対象になったりする。
それにしても、長谷川さんの人目もはばからない猛進ぶり、誰かに似ているな。誰だろう……? あっ、あの人だ、と思い当たりました。衆議院議員の野田聖子さん。子どもを生みたいと不妊治療を続け、最終的にアメリカで卵子提供を受け、50歳で妊娠・出産した人です。
お二人は、自分の目指す「女としての完成形」へひた走る、その行動の形と馬力が、どこか似ています。長谷川さんの場合、そのブランドはひたすら「結婚」。野田さんの場合は、ひたすら「出産」。
そうだ、もう一人似ている匂いを発している人が。松田聖子さん。この人の場合は、そのブランドはひたすら「若さ」。人生は人それぞれ。お三方の目的が間違っている、とは言えない。けれど、どこか「無理」を感じてしまうのは私だけでしょうか。
諦めるということは、大切な文化です。「諦める」ということは、「負ける」ことではない。「明らかに見る」ということに通じるのです。その猛進ぶりが「明らかに見えた」人は、「痛さ」を感じて、自分はスピードを緩めるのでしょう。