18年間続いた男性向け雑誌『GORO』に対する思い出は、読者の年代によってさまざまだろう。この人の場合は、高校・大学生だった1970年代後半が「『GORO』の時代」だった。自他共に認める“雑誌小僧”であり、『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』の著書もある評論家の坪内祐三氏が懐かしの『GORO』を回顧する。
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『GORO』が創刊されたのは昭和四十九(一九七四)年六月、ちょうど私が高校に入学したばかりの頃だ。
まさにジャストミートな年齢だ。
しかしその手の雑誌に奥手だった私はようやく『平凡パンチ』や『週刊プレイボーイ』を買い始めたばかりで、創刊年にリアルタイムで『GORO』を買った記憶はない(のちに古本屋で四~五冊買った)。
だから私が『GORO』を買うようになったのは翌一九七五年のことだ。特に表紙が篠山紀信になり、それに連動して「激写」が始まってからは毎号のように買った。
そう、『GORO』と言えば、激写だった。いわゆるヌードグラビアと違って、もっと自然体で、時にはスターも登場する(しかしその多くはセミヌードだった)激写は私たち高校生に大人気だった(私が今でもよく憶えているのは、高校二年の時の同級生のT君が南沙織の大ファンで、南沙織が表紙の号つまり「激写」されている号を見て、脱いでいたらどうしよう、と買うのを付き合わされて一緒に頁を開き、脱いでいないのを確認し、ほっとした彼の表情だ)。
紀信激写のツートップは山口百恵とアグネス・ラムでどちらも十回以上登場したのではないか。
それに続くのが水沢アキだが、激写のもう一つ大きな流れに“美少女シリーズ”がある。つまり“普通の女のコ”たちが登場するシリーズだ。村山くみ子、秋山ゆかりなどという名前がすぐに出てくる。
しかし実は『GORO』の最大の魅力は(少なくとも私にとって)、読み物頁にあった。まず連載が充実していた。
例えば創刊号から連載されていた山口瞳の「礼儀作法」(および「続・礼儀作法」)。この連載は祥伝社のNON BOOKから刊行され、集英社文庫に入り、それから二十年以上のち平成十二(二〇〇〇)年、新潮文庫に収録され、遅れてきたベストセラーとして話題になった(十代の時に激写目当てで『GORO』を買っていた人たちがこの連載も読み――つまり頭のどこかにすりこまれ――四十代になって改めて読み通したいと思ったのかもしれない)。
それから安岡章太郎の「新アメリカ感情旅行」や丸山健二の「告白的肉体論」や筒井康隆の小説「十二人の浮かれる男」と「美藝公」(「美藝公」の絵[畫]は横尾忠則でカラー頁を効果的に使った贅沢な作りになっていた)。
目次の下段(時には上段)に載っていた「20代の履歴書」という筆者替わりのコラムも愛読した(例えば、「来る日も来る日もジャズばかり聴いていた」と書き始められる中上健次の一文が忘れられない)。
和洋を含めての音楽記事やスポーツ(時にプロ野球)記事も充実していた。
それらの記事やインタビューを担当したのが当時まだメジャーでは知られていない若手ライターたちだが、『GORO』で私は彼らの名前を憶えていった。
沢木耕太郎、海老沢泰久、山際淳司……。中でも一番の大物が河村季里だった(この人は今どうしているのだろうと思っていたら、数年前、村八分などで知られるギタリスト山口冨士夫の自伝の発行人として同姓同名の人を見つけた)。
※週刊ポスト2012年5月4・11日号