橋下徹・大阪市長の政治手法には、数多くの“ブレーン”の知恵を生かしながら課題に取り組むという特徴がある。「おバカ規制の責任者出てこい!」と、役所の作るおかしな決まりに斬り込んできた元経産官僚の原英史氏もその一人だ。府市特別顧問となった原氏が大阪で「おバカ規制」と奮闘する日々を報告する。
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「政治家が教育に口を出すと、教育内容が歪む」という議論が、大阪の教育の現場でよく出てきた。教育のことは教育委員会に任せるべきだという。
しかし、これはおかしな論理だ。「知事や市長は間違いを犯す。教育委員会の委員たちなら大丈夫」と、なぜ決めつけるのだろう? 有権者たちは、そんなおかしな知事や市長を選んでいるのだろうか?
この論理の裏に潜むのは、実は「教育委員会への信頼」ではなく、「政治家より役人組織のほうが安心」という、戦前以来の感覚だと思う。
拙著『「規制」を変えれば電気も足りる』(小学館101新書)にも書いたが、教育委員会制度というのは、教育行政の責任者が誰なのか、よくわからなくするために作られたような制度だ。
そのもとで、誰が実権を握るのか? 本業の傍らでやっている教育委員たちではない。教育長(教育委員を兼ねる)のもと、行政実務を担う教育委員会事務局の役人たちだ。そして、そこに、文部科学省→都道府県教育委員会事務局→市町村教育委員会事務局という上下関係が加わる。
つまり、「教育委員会に任せておけば……」という思考は、実は「文部科学省の役人たちに任せておけば……」というのに等しい。
今回、「教育基本条例」が提起した問題は、私流に捉えれば、「そんな教育委員会制度をこのまま続けるのか?」だ。繰り返すが、教育委員会制度は法律で定まっているから、これは、国の制度への挑戦だ。
教育委員会制度の綻びが露呈したのが、大阪での君が代斉唱を巡る一件だった。
3月の卒業式で、教員が起立だけでなく、斉唱しているかをチェックした府立高校の民間人校長である中原徹氏が、一時、大変なバッシングを浴びた。「口元チェックはやり過ぎ」という声が、メディアや、大阪府教育委員会の委員たちからあがったのだ。
だが、その後の府議会の質疑などで、中原氏への批判は全く的外れと明らかになった。というのは、そもそも教員に対し「起立だけでなく斉唱するように」と指示を出したのも、校長に「斉唱を確認するように」と指示したのも、大阪府教育委員会だったからだ。
中原氏はこう振り返る。
「今回学んだことが3つ。まず、教育委員会制度の限界です。非常勤の教育委員が、実際には委員会の仕事の中身を把握できていない。次に一部報道機関が政治団体に近い存在であること。大阪の条例に反対したい一心で報道素材を編集する上層部の思惑が見えます。
3つめは、歴史教育の問題。卒業式は教員個人の歴史観をアピールする場でない。生徒のためには反対説もバランスよく盛り込んで歴史観を伝えることこそ重要。自校ではそういう特別授業もやってきたが、教育界は腰が引けている。職員会議でこうしたことを全教員に伝え、入学式では全員が起立斉唱しました」
自ら指示を出しながら、「やりすぎ」と批判した教育委員たち個人をあげつらうつもりはない。
問題は制度だ。普通の会社なら、「会社の業務命令に従った社員を、業務命令に従ったことを理由に、社長が批判する」ことなど考えられない。ところが、教育委員会の場合、“社長”に相当するのは、非常勤の教育委員たち。そんな制度だから、社内の業務命令を確認もせず、社員を批判するようなことが起きてしまう。
※SAPIO2012年5月5・16日号