現役時代は533犠打の世界記録を打ち立て、昨年から巨人の2軍監督に就任している川相昌弘氏(47)。実は、2003年に巨人で引退試合を行ない、その翌年から巨人でコーチになる予定だったという。
ところが当時、原監督が電撃辞任したことを受け、1軍コーチ職が宙に浮いた格好となった。もともと、現役続行を望んでいたため、中日の監督に就任した落合博満氏の元で、翌年も現役を続けることになった。そして、2006年で引退した後は、中日でコーチを務めた。
2010年オフには、突如として2軍監督を務めていた中日から退団通告を受ける。行き場のなくなった川相を巨人が拾ったように報道された。当時、川相自身も「理由は聞いていません」とコメント。不可解な退団に、落合と川相の確執などが噂されたが、実際は違ったという。中日球団関係者が打ち明ける。
「毎年、ジャイアンツから『返してくれ』といわれ続けていた。しかも、シーズン中の6月くらいからですよ。それで、落合さんが『欲しいといわれているあいだに返すのがいちばんいいだろう。単身赴任して名古屋いるよりも、家から通える方がいいだろう』と判断して、去年、ようやくジャイアンツに復帰したのです。
ただ、落合さんの性格上、本人にはその話をしていないはずですよ。恩義を感じてもらうのが大嫌いなタイプですからね。だから、『もうウチは来年契約しないから、好きなことに行け』というぶっきら棒な退団通告になり、様々な憶測を呼んだ」
言葉が少ないため誤解されやすいが、落合前監督は気遣いも超一流だったようだ。