「きんは100シャア、ぎんも100シャア」。そんな名セリフで日本中を沸かせた双子の100才、きんさんぎんさん。あれから20年が経ち、ぎんさんの4人の娘たちもいまや平均年齢93才、母親譲りのご長寿だ。彼女たちに当時のブームのころのふたりを振り返ってもらった。
2000年(平成12年)1月23日、ぎんさんの胸が打ちひしがれる日がやってきた。かけがえのない姉・きんさんが、107才の生涯を閉じたのだ。
五女・美根代さん(89才):「きんさんが亡くなってから、母の体調がだんだん悪うなってね。それまでは“あれが元気だで、わしもしっかりせんといかん”というてたのが、競争相手がいなくなって、心ん中にあった枝がぽきんと折れたんだと思う」
母・ぎんさんの状態が心配になった美根代さんは、ぎんさんの部屋に続く隣の座敷で寝るようになった。夜中に襖をそっと開けて、母親の様子を気遣う日が続いた。
美根代さん:「そのうち、びっくりするというか、困ったことが起きた。毎晩、夜中の1時ごろになると、母が大声でお経を唱えるようになってね。
そいでお経が終わると、今度は何やら訳のわからんことをぶつぶつとわめくようになって、もう、朝までまんじりともできんようになった。ほんと、あれには往生しただがね」
幸いに蟹江家から歩いて10分ぐらいのところに、三女・千多代さん(94才)と四女・百合子さん(91才)が住んでいた。
百合子さん:「そうだったにゃあ。それで昼間、私らふたりが行っておっかさんを見守ることにして、“いまのうちに寝といたほうがいい”と、美根ちゃんを休ませることにしただが」
2000年(平成12年)の春も初めのころ、ぎんさんの肺に再び水がたまるようになり、呼吸困難となったため、酸素吸入器を使うようになった。在宅でこの処置ができたのは、近くの病院にぎんさんの掛かり付けの医師がいて、足しげく往診に来てくれたからだ。
そして、ぎんさんは、持ち前の生命力で快復し、その年の6月には自分で歩けるようになった。外出は控えたが、起きたいときに起きて、寝たいときに寝るという生活が続くようになり、4姉妹はひとまず安堵した。
そんなとき、美根代さんは新聞で「これからは、介護保険の時代だ」ということを知った。役所に申請すると、調査員がやってきた。
美根代さん:「“手が上がるか、足が上がるか”とか、母にいろいろ質問して、その認定の結果が、いちばん重い要介護5。まさか、最重度になるとは思ってもいなかったけど、ときどき呼吸困難になるし、年も年だで要介護5になったんだとそう思うた」
こうして週に2回、訪問看護師さんがぎんさんのもとを訪ねて来るようになった。
※女性セブン2012年5月10・17日号