「私は89歳ですが、3人の姉を乗せてドライブするのが趣味なんです」
そう語って、聴衆を驚かせたのは蟹江ぎんさんの五女、美根代さんだ。ぎんさんには5人の娘がいた。次女は3歳で病死したが、あとの4人は上から長女の年子さん(98)、三女の千多代さん(94)、四女の百合子さん(91)と母親譲りの長寿。
4月末、その秘訣を紐解いた著書『ぎん言』(小学館刊)の発売を記念したトークショーが行なわれた。4姉妹は平均年齢93歳とは思えないほど活発で軽妙なトークを披露したのだが、事あるごとに彼女たちは亡き母、ぎんさんが残した言葉を口に出していた。その金言ならぬ“ぎん言”こそが、長寿の秘訣でもあるのだ。同書に収録されている“ぎん言”を抜粋して紹介する。
「日暮れ、腹へれ、夜長なれ」
三女の千多代さんは尋常小学校卒業後、家業を手伝った。盆も正月もなく、朝早くから家のために畑仕事に精を出す彼女に、ぎんさんが贈った言葉がこれだ。つまりは、こういう教訓になる。
「日が暮れるまでよく仕事をすれば、腹がへって食事がおいしいし食欲旺盛になる。そして夜もぐっすり眠れ、明日への気力が養える」(千多代さん)
働き者だったぎんさんらしい言葉だ。人生の中では、当然つらい事も起こる。それを乗り越える教えがこちら。
「どんなにつろうても、お天道さまはまた出てござる」
昭和34年の伊勢湾台風で、長女の年子さんは娘と二人の孫を亡くした。ぎんさんは、年子さんをこう励ました。奇しくも名作『風と共に去りぬ』でも、主人公が「明日はまた明日の陽が照るのだ」という同じような名言を残しているが、この時代、ぎんさんは外国の小説を読んでいない。
ぎんさんは体だけでなく心の健康にも気を配っていた。
「心のしわを生やしちゃ、世の中が面白のうなるでにゃあの」
きんさんとぎんさんが100歳を迎えた当時、活発に動き回るぎんさんに対し、足腰が弱っていたきんさんは家に閉じこもっていた。そんな折、テレビや雑誌が二人を取り上げるようになると、きんさんは人目を意識し、生き生きとし始めた。ついには積極的に出歩くようにもなったという。その姿に安堵したぎんさんが娘達にこう語ったのだ。
心に生えるしわを防げば、世の中が楽しく感じる。最近、4姉妹もわかるようになったと語る。
「わたしらは100シャアからが老後だがね」
と4姉妹は声を揃える。“ぎん言”を胸に、いつまでもお元気で!
取材・構成■綾野まさる
撮影■ヤナガワゴーッ!
※週刊ポスト2012年5月18日号