東アジアの国際ハブ空港は韓国の仁川空港である。だが実は、仁川空港の開港は2001年、成田空港の開港の23年後であった。成田が国際ハブ空港に成り得なかったのは24時間空港でないことも理由なのだという。本来、東アジア最大の経済大国であった日本の国際空港が(しかも韓国よりも昔から存在した)、なぜハブ空港に選ばれず、こんなことになったのか? 作家・井沢元彦氏が解説する。
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物事には必ず理由がある。そして日本以外の国で、こんな間抜けな事態が起こりうるとは到底考えられないから、これは日本人の特質および日本の文化に原因があることは火を見るより明らかだろう。
こう考えてみよう。日本のなかで成田空港に徹底的に反対している人間は一体どれぐらいいるだろうか? 仮に日本の人口を1億人としようか。反対者は絶対にこんなにたくさんはいないと思うが、仮に4999万9999人が反対だったとしても、残りの5000万0001人が賛成すれば成田はハブ空港になれるのである。
当たり前の話だ。民主主義の原則は過半数で基本的なことが決められるからである。しかし日本ではいまだに決まらない。こんなにたくさん反対派が存在するはずがないのに。
仮に1000万人の反対者がいたとしても、あるいは2000万、3000万反対者がいたとしても、比率に直せば9対1、8対2、7対3であっても外国ならば圧倒的多数で可決されましたと報道されるところだろう。お分かりだろうか、日本はそうした多数決の原則がまったく機能していない国なのである。
ここで中高年の人ならば、かつて美濃部亮吉東京都知事が提唱した「橋の哲学」を思い出すのではないか。民主主義国家の政治家が「たとえ一人でも反対者がいたら橋を架けない」などということを公言し、マスコミもそれをほめそやした時代があった。
日本は極端に言えばたった一人のわがままな人間がいるために、99.999%の日本人が熱望していることでも決められないという、恐るべき国家なのである。それは成田問題がなによりも明確に証明している。
したがって政治家としてしばらく実務を経験した人間ならばこの恐るべき事態に気づき、必ず橋下徹大阪市長のように「こんなやり方では日本は沈没する」と言うはずなのだ。それなのにこんなことを言う政治家はほとんどいない。こういう事態にまったく気がついていないか、分かっているが反感を買うので黙っているか、そのどちらかであろう。前者なら間抜け、後者なら臆病者ということになり、いずれにしても政治家としての資質に欠けると言わざるを得ない。
※SAPIO2012年5月9・16日号