歴史に名を残したリーダーと橋下氏を比較すると、何が浮かび上がってくるだろうか。橋下氏の掲げる改革は、1980年代にイギリスを「英国病」から立ち直らせたマーガレット・サッチャー元首相の政策と重なって見えるところが多い。サッチャー氏本人へのインタビューを含む当時の豊富な取材データから、落合信彦氏が「歴史のレッスン」を繙く。
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1979年にマーガレット・サッチャー氏が英首相に就任した時、イギリスの社会・経済は“重い病”を患っていた。基幹産業の多くが国有化され、手厚すぎる社会保障制度が設けられた結果、労働組合の力ばかりが増し、全国で大規模なストライキが続出。税収はみるみる減り、財政赤字は膨らむばかりだった。かつて世界の覇権を握った大国の社会は疲弊しきっていた。
そんな中で就任したのが、イギリス史上初の女性首相、サッチャー氏である。
保守党の党首として「小さな政府」を掲げたサッチャー氏は、国営企業を次々と民営化。労働組合と徹底的に対決してその既得権を奪い、減税や規制緩和によってイギリス社会に活力を取り戻した。そうして3度の総選挙を勝ち抜き、11年という長期政権を築いたのである。サッチャー氏退任後の1990年代に入り、イギリス経済は見事に復活したわけだが、その礎を築いたのがサッチャー氏の取り組みであることは言うまでもない。
まさに歴史に名を残した名宰相である。
大阪市長の橋下徹は、既得権にあぐらをかいて何もしようとしない市職員労組や日教組などの組合員を徹底的に締め上げているように見える。自治体の財政赤字を解消するために、行政の無駄を排除しようと取り組んでいるとされる。「組合との対決」や「行政のスリム化」などのイシューを見て、「サッチャー氏と橋下徹は似ている」と指摘する人がいる。だが、本当にそうだろうか?
確かに表向き掲げている政策だけを見れば、橋下が「サッチャー流改革」を目指しているかに見える。無能な国会議員に嫌気がさした国民は、テレビで橋下の派手なパフォーマンスを見て、溜飲を下げている。人気も高い。しかし、橋下が本当に「日本のサッチャー」を目指すためには、現時点では重要な要素が欠けている。
橋下徹という政治家は、もともとテレビのバラエティ番組で有名になった人物だ。そのため、マスコミで大きく取り上げられる演出をして、テレビ・ショーの視聴者に呼びかけることには長けている。しかし、それだけでは大衆迎合のポピュリズムだ。
我々が認識しなければならないのは、マーガレット・サッチャーという政治家が、ポピュリズムと対極のところにいた人物だったということである。
今でこそ、英国史に名を残す女性首相として高く評価されているが、就任当初は不況と閉塞感がイギリス社会を覆っていて、彼女の支持率はわずか23%だった。これは、それまでのどの英国首相よりも低い数字で、当時は完全な“不人気宰相”だったのだ。
重要なのは、サッチャー氏がそうした世論調査の数字に惑わされなかったという点である。彼女は目先の人気より「信念」を優先させた。そこに学ぶべきレッスンがある。
「コンセンサス(合意)などというものを取り付けるのは時間の無駄だ」
とはサッチャー氏の至言だが、政治家に必要なのは決断する力であり、決断が間違っていた時に責任を取る潔さである。民主的な方法で首相に選ばれた以上、世論調査の結果など二の次だ。むしろ人気取りのために信念を曲げることこそ、「政治家の死」を意味する。サッチャー氏はそれをわかっていた。
※SAPIO2012年5月9・16日号