福岡・中洲一の高級クラブ『ロイヤルボックス』のオーナーママ、藤堂和子さん(66才)。“中洲の女帝”とも称される彼女のもとには、政財界、芸能界をはじめ、内外の名だたるVIPが連日のように訪れる。藤堂さんはいかにいまの地位を築いてきたのか。
和子さんの水商売における礎は伝説のギャング、アル・カポネ時代のアメリカでバーを開店させた祖母・マツさんの時代にまでさかのぼる。和子さんにとって、祖母が人生のお手本なら、日本で店を開いた母のアヤさんはライバルだという。
「祖母と私は“出っ張り虫(でしゃばり)”ですが、母は基本的に控えめ。なにもかもが正反対なんです」(和子さん)
母・アヤさんは日本で美容師として働いていたが、やがて酒場に勤め始める。控えめな性格にもかかわらず、エキゾチックな美貌で、たちまち売れっ子となり、自分の店を持った。
「高校受験のころ遅くまで勉強していると、酔った母が鮨折りを持って帰ってくるんだけど、酔っぱらって振り回すから、お鮨が隅に寄ってしまうんです。そのたびに、“ああ、きれいに詰まったお鮨が食べたか”と思ったものです(笑い)」(和子さん)
和子さんがお土産として出しているのが赤飯であるもうひとつの理由は、揺すっても隅に寄らないから、と笑いながら明かす。
母のようにはなるまい、と思っていた和子さんは平凡なOLの道を選ぶ。しかし皮肉にも、叔父が趣味で始めたスタンドバー『リンドバーグ』を、義姉のお産のために手伝うことに。
「初めは店に出るのがいやでいやで。嫌いな相手だったら話すらしませんでした(笑い)。ところがあるとき、ホステスの先輩から“お客様に好かれて初めて、私らはごはんが食べられるとよ”と叱られて、私の負けず嫌いに火がついたんです。“よし、本気でしゃべって接客してやろうたい”って」(和子さん)
19才という若さと、媚びも物怖じもしない率直な性格。和子さんはたちまちお客の心をつかみ、この仕事は「天職」だと自覚していった。
接客の技術を磨くために、ゲイバーへも通った。
「女よりも女らしい“彼女”たちに教わることは多かったですね。“彼女”たちは階段を上がるとき、爪先だけでとんとんと上がるんですが、女っぽいうえにヒップアップ効果があって、すぐにマネしましたね(笑い)」(和子さん)
いいな、と思ったことはすぐに取り入れ、がむしゃらに努力を続けた結果、和子さんの常連客はますます増えていった。
「私は面食い」という和子さんの恋愛遍歴は華やかだ。最初に結婚を意識したのは、大阪の資産家の息子。だが、彼の姉がいった「嫁になるなら、水商売はやめてもらわな、あかんわ」というひと言が、和子さんを怒らせた。
誇りを持って働いていた和子さんは、「水商売という仕事をきちんと認めてくれる人以外とは、結婚しない」と決心する。
「仕事を続けることを許してくれる人と結婚したのは、24才のとき。彼はひとつ年下です。そりゃ、よか男よ。アラン・ドロンと石坂浩二を足して割ったような(笑い)」(和子さん)
それからまもなくして『リンドバーグ』のママを任される。生まれた長男は、母に預けて仕事を続けた。
「でも、男の人って、生活が落ち着くにつれて“仕事をやめてくれ、暗い家に帰るのはいやだ”といいだす。それならと思って、家を出るとき、電気もエアコンもつけておいたんですけど、そういうことじゃないって(笑い)」(和子さん)
35才のときに離婚。独り身になった和子さんはますます仕事にのめり込んでいった。そして、運命の人であり “人生の恩師”となる男性・磯貝浩さん(享年67)と出会う。写真家であり雑誌などの企画編集に携わる磯貝さんにはすでに家庭があったが、「おれはおまえさんに品物をプレゼントする趣味はない。
でも、おまえさんの知識を増やしてあげることはできるよ。おれが死んだとき、“ガイがいてよかった”と思えるようなことは、なんでもしてやる」といい、銀座をはじめ一流の場所、一流の人を次々と紹介してくれた。
いつしか男と女の関係になり、そして別れを迎えるが、情は切れることなく、遠くから和子さんを見守っていてくれた。
その磯貝さんが亡くなったのは、いまから5年前の夏。突然の訃報に驚いている和子さんに、磯貝夫人はいったそうだ。
「密葬ですませましたが、お別れの会には藤堂さんにも来ていただくと、磯貝も喜びます」
この夫人の言葉に、和子さんは同じ女性として“かなわない”と感じたという。同時に、自分が愛した男性の懐の深さを改めて知るのだった。
愛にも、仕事にもありったけの情熱でぶつかった和子さんは、1990年代半ばには、経営難に陥っていたクラブ『ロイヤルボックス』の立て直しという大仕事を任せられる。
180坪もある『ロイヤルボックス』は一時期繁盛していたが、バブルがはじけたころから経営が苦しくなり、借金は約5億円にものぼっていた。しぶしぶこの大役を引き受けた和子さんだったが、またも見事に祖母譲りの気働きで“中洲一のクラブ”に育て上げてしまうのだ。
和子さんは2010年に自伝『中洲通信 親子三代ママ稼業』(河出書房新社)を出版し、東京の帝国ホテルで出版記念パーティーを行った。
その発起人には王貞治(71才)、樹木希林(69才)、三枝成彰(69才)、さだまさし(60才)、手嶋龍一(62才)など78名の名前がずらりと並び、約2300名もの著名人が訪れた。
いったいなぜ、これほど大勢の、しかも成功者と呼ばれる人たちに彼女は慕われるのか。そこを問うと、本人は笑いながら、「私、全然気を使ってないの。頭使ってない。ただのボンクラなの(笑い)」とはぐらかす。
気を使っていることを悟られずに、相手が求めていることを瞬時に判断して、接する。だからこそ、誰もが認める “接客の天才”なのだ。
※女性セブン2012年5月24日号