大阪市の中心部、川に面してそびえ立つ超高層マンション。完全オートロックで、内部にはジャグジーやトレーニングジム、AVシステム完備のスタジオなども備えつけられている。
昨年8月の電撃引退宣言後、沖縄本島、石垣島、京都、東京と、人目を避けるように転々としてきた島田紳助(56)。今は家族とともに、このマンションの、大阪市内を一望できる高層階で暮らしている。
時折、京都の実家で1人暮らしをする85歳の母親のところにも顔を出しており、近所でも、紳助の姿を見かけるという声が聞こえてくる。
実家は昨年10月に亡くなった、旧国鉄職員だった父親が建てたものだが、15年ほど前に紳助がお金を出して3階建てに建て直し、借地だった土地もすでに紳助が買い取り済みだという。
母親を訪ねると、引退騒動直後の頃とはうってかわった明るい表情で次のように話した。
「(紳助は)月に1回くらいは顔を見せてくれますよ。1人で来る時もあるし、嫁や孫を連れてくる時もある。4月に来たときは嫁と一緒でしたわ。話いうても“元気にしてるか”とか“なんか困ったことはないか”とかそんなことですけど、帰り際には“元気で長生きしてや”みたいなことをいうてくれました」
紳助からは、大阪のマンションでの同居話も持ちかけられているという。
「私の足が悪いこともあって、“部屋もちゃんとあるし、一緒に暮らそう”といってくれてます。優しい子なんです。でも私は主人とずっとここで暮らしてきたし、ご近所もみんな知ってる人やから、ここを離れたくないんです。
仕事の話ですか? 私からはしないし、向こうもしてこないので全然わかりません。私とすれば、あの子が元気に、好きなことをして生きてくれればいいと思っているんです」
※週刊ポスト2012年5月25日号