“越山会の女王”と呼ばれた母・佐藤昭とオヤジ・田中角栄が、娘の私に遺してくれたことはいったい何だったのか――。2年前の3.11に逝った母。その三回忌を前に、激動の昭和を懸命に生きた父母の素顔を娘・佐藤あつ子さんが綴る書籍『昭 田中角栄と生きた女』が発売された。
遊びたい盛りだった小学4年生、あつ子さんはすでに塾通いをしていたという。私立中学を受験する準備のためだ。後に、慶応義塾中等部に合格するが、本人の希望ではなく母の一存だった。
「テレビで演説をしている政治家の先生たちも、オヤジですらも、母に逆らう人は誰ひとりいませんでした。いつも家の中の中心は母で、私はその陰」(あつ子さん・以下同)
小学校から帰ると母は麻雀室から顔を出して「おかえり~。塾の帰りは朝賀(昭)くん(田中角栄氏の秘書)が迎えに行くから」と声はかけてくれるが、食事はお手伝いさんが作ったものをひとりで食べた。
『ルーシー・ショー』や『宇宙家族ロビンソン』などの米ドラマを見ているときだけが楽しかった。
それでも母のいいつけを守り、母の困りそうなことはいわない“いい子”のあつ子さんにも限界がきた。思春期にはいったころのことだ。
お酒を飲むことを覚え、当時流行ったサブカルチャーの影響で“ラリる”ことを知る。お酒と鎮痛剤と睡眠薬。さらに咳止め薬を一気のみして、自分をわからなくした。
恋愛がうまくいかなくなるたび、酒と薬に逃げて自殺未遂を繰り返した。母はオロオロはしたが、事後処理は秘書の朝賀さんに任せた。「なぜそんなことをするのか」と、膝を交え面と向かってくれることは、一度もなかった。
※女性セブン2012年5月31日号