以前、沖縄の大学准教授らが沖縄の住民にアイデンティティを質問したところ、答えの割合は「日本人」が25.5%、「沖縄人で日本人」が29.7%、「沖縄人」が41.6%だった(「沖縄住民のアイデンティティ調査2007」)。なぜかくも「日本」への帰属意識が低いのか。高崎経済大学教授の八木秀次氏が解説する。
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沖縄では毎年6月23日の「慰霊の日」が近づくと、小学校から高校までいっせいに「平和学習」を行なう。だが、その内容は「慰霊」や「平和」とは程遠く、端的に言えば、露骨な反日教育だ。これを主導しているのが沖縄県教職員組合(沖教組)である。
例えば、沖教組の教員が好んで使う代表的教材『沖縄戦から何を学ぶか 戦後60年 戦争を知らない世代のための平和学習書』(新城俊昭著、沖縄時事出版刊、2005年)には次のような設問がある。「北部の山岳地帯に避難した人々は、米軍の攻撃以外に飢餓やマラリアにも苦しめられましたが、もう一つ、あるものから身を守らなければなりませんでした。それは何だと思いますか」。
答えの選択肢として「a:日本兵 b:天然痘 c:自然災害 d:地雷」が挙げられ、正解は「a」とされている。日本兵こそが沖縄県民を脅かした「犯人」という扱いだ。
「軍隊と住民が混在した状況のなかで、日本軍は住民に対してどのような態度をとったと思いますか」という設問もある。答えの選択肢として「a:米軍の攻撃から、身を挺して住民を守ろうとした b:ガマから追い出したり、食糧を強奪したり、スパイ容疑で殺害したりした c:ガマや食糧を提供し、生命をそまつにしないようさとした d:投降して捕虜になるようすすめた」が挙げられ、正解は「b」。日本兵は“鬼畜”のような存在として教えられているのだ。
同様に、沖縄の高校で広く使用されている『改訂版 高等学校 琉球・沖縄の歴史と文化』(新城俊昭著、編集工房東洋企画刊、2009年)でも、「日本兵は一般住民を守るどころか、壕から追いだしたり、食糧を奪ったり、スパイの疑いをかけて殺害したりした。『強制集団死』に追いこまれた人びとも少なくなかった。
日本軍の目的が住民を守ることではなく、天皇制度の日本国家を守ることにあったからである」と記述されている。「集団死」とは集団自決のことで、日本軍が自決を命令・強制したとして「強制集団死」と呼んでいる。ここでは日本兵のみならず日本という国家そのもの、さらには天皇までが憎悪の対象になっている。
これは歴史教育ではなく、反日本軍・反日本・反天皇の感情を植え込むイデオロギー教育である。
周知のように、集団自決については日本軍の命令・強制を否定する住民らの有力証言があり、学説も分かれている。それゆえ、文部科学省も2006年度に行なった高校歴史教科書の検定で、日本軍の命令または強制と読み取れる記述に意見を付けた。しかし、沖縄ではそうした客観的事実は無視されている。
こうした「平和学習」を主導する沖教組は、最初から反日的だったわけではない。
沖教組の前身は1947年に設立された沖縄教育連合会(1952年に沖縄教職員会と改称)という組織で、校長ら管理職も参加しており、労働組合ではなかった。反日どころか、本土復帰運動の母体となった沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)の中心的存在でもあり、「祖国愛」教育を実践していた。
ところが、まさに本土復帰運動が高まった頃から変質していく。1963年頃、本土で展開されていた安保闘争が遅れて沖縄に波及する形で、「沖縄を階級闘争の拠点に」と訴える活動家や学者・マスコミが本土から押し寄せてきた。その影響を受けて次第に沖縄教職員会も変質し、本土復帰を「米軍基地が残る欺瞞的返還だ」として反基地闘争を展開することになったのである。教職員会の愛唱歌「前進歌」4番の歌詞「友よ仰げ日の丸の旗」も問題となり、削除された。
その後、教職員会は1971年、労働組合としての沖縄県教職員組合に改組され、本土復帰を経て1974年に日教組に加盟したのだが、沖教組には革マル派が深く浸透しているとする公安関係者の証言すらある(産経新聞政治部記者・阿比留瑠比氏のブログ「国を憂い、われとわが身を甘やかすの記」2007年10月14日)。
※SAPIO2012年6月6日号