父との思い出を綴った初の自伝的実名小説『かすてぃら』(小学館)が発売中のさだまさし。デビュー40周年を迎えていま何を思うのか、インタビューした。
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4月10日に60歳になりまして、晴れて還暦を迎えることができました。とはいっても、めでたいなんて思いませんよ。「よくぞ60まで生きてきたな」くらいのもんです。親父が遺してくれた借金とか、おかげさまでいろいろありましたから(笑い)。これからの人生は“おつり”だと思っているんです。
やっぱりねえ……昨年の震災が大きかった。今生きていることの意味、運命の不思議なんてことをね、少なからず考えるようになりましたもん。残りの人生を“おつり”と思えば楽に生きていけるんじゃないかとね。
40代までは世間体も気にしていたし、若造なんだからって意識があって自分を強く押し出そうという気にはなれませんでした。だから50歳になって、「自分の意見をいっていいんだ」と思えて解放されましたねえ。それでもってこのたび還暦でございます。他人の批判なんてどうでもいいって境地に達しましたね(笑い)。
還暦の誕生日に『かすてぃら』という本を出しました。話は3年前に亡くなった親父の最後の10日間。親父っていうのがひどい人でしてね。還暦を過ぎた62歳、僕が29歳の時に公開した映画『長江』で28億円借金することになりました。間違えちゃいけないのは、親父が映画を撮ろうといい出してお金を使ったおかげで、僕が借金したということ(笑い)。
だから、いくらかでも親父のことを書いて取り戻そうと思って書いたわけですが、どれくらい売れたらいいのかと調べたら2000万部。ガックリきました(笑い)。
親父という人間は、夢だけはデッカイ、山師のような男でした。金に関していえば、あればあるだけ使って自分だけいいカッコするタイプ。僕の財布から湯水のように金を使いまくって、それと知らない他人は、僕に「いやあ、お父さんは素敵な方ですね」なんて笑いかける。そんなこといわれてごらんなさい、腹立ちますよ(笑い)。
母もずいぶん苦労したと思いますが、実家がいわゆる侠客だったせいか肝が据わっていましたね。底の抜けた「割れ鍋」の親父に「綴じ蓋」の母親――いいコンビだったんですね。
思えば僕も「割れ鍋」みたいなもんですし、途中で投げ出さずに最後まで精一杯働くっていう一点においては親父にそっくりかもしれません。
そんな父親を思い返しながら、一気呵成に書き上げたのが『かすてぃら』です。読者の皆様にも家族の誰かを重ねながら読んでいただけると嬉しいですね。
※週刊ポスト2012年5月25日号