21世紀が明けた2001年(平成13年)2月28日、蟹江ぎんさんは108才の人生にピリオドを打ち、眠るように天国へ旅立った。姉・きんさんとともに、100才をとうに超えた双子姉妹が全国の人々に勇気を与え、あれだけ元気旺盛に活躍できたことは国内のみならず、国際的にみても貴重なことだった。そうした観点から、ぎんさんの晩年を見守り続けた主治医と病院側が「長寿研究のために、ぜひ協力してほしい」と病理解剖を希望し、美根代さんら家族も「医学に貢献できるのなら」と、快く応じた。それは、ぎんさん自身も望んでいたことだという。
千多代さん(三女・94才):「おっかさん、もっともっと生きんしゃると思うとっただが、最後はあっ気なかった。まだ、ぬくもりが残る体をさすってなぁ、思うたのは、ご苦労さんとありがとう、そういう思いだけだった」
百合子さん(四女・91才):「そうだよ、長いこと、ありがとう。それが胸いっぱいになって、なんもいえんようになった」
美根代さん(五女・89才):「母にはいろいろ厳しゅうされたり、丁々発止のケンカもしたけど、そんなのは、みーんな吹っ飛んじゃった」
年子さん(長女・98才):「うちの旦那が若いころに病気したとき、そりゃあ、難渋しただが。そんときに励ましてくれて、経済的にも応援してくれたのが、おっかさんだった。そいだで、それがいまでも、頭から離れんよ」
テレビに映ったあの笑顔の裏に隠されていた、母親としてのぎんさんの厳しさ。だがすべては、かけがえのない母の死とともに昇華されたのだ。
話は前後するが、母・ぎんさんが亡くなった朝、美根代さんの体に不思議な現象が起きた。
美根代さん:「母が亡くなったのは、午前1時過ぎのことだったが、夜明け近くになって、こう、胃のあたりが錐をもみ込まれたように痛くなってね。お腹がパンパンに膨らんで、息をするのもやっとになった」
百合子さん:「そう、美根ちゃんの顔が真っ青になってね。額にべっとりの脂汗がにじんでな。私ら3人は、なーんともないのに、あれは不思議なことやったなぁ」
千多代さん:「美根ちゃんは、70年以上もおっかさんと一緒だったから、親子の縁が強かったんだがね」
美根代さん:「ちょっとオカルトめくけどね、そういうことに詳しい人に聞いてみたら、それは“子別れ”なんだって。子が親と別れるときは、身をちぎられるような思いをせんと、どうにも別れられん場合もあるんだって」
年子さん:「仏教的な話になるけどなぁ。私は、そういうのは一概に否定できんと思う。美根ちゃんは、この家の跡取りやったから、あの世に旅立つおっかさんが、“これからしっかりせぇ”と、苦しい思いをさせて教えたんだが」 それからの美根代さんは、日々の暮らしの中で、母・ぎんさんの教えを思い出し、胸に手を当てて反芻するようになった。
※女性セブン2012年5月31日号