ペコンと体を90度折り曲げる、小学生が職員室にはいるときのようなお辞儀をして、佐藤あつ子さん(54才)はインタビューの部屋にはいってきた。
この人があの“越山会の女王”と、元首相・田中角栄氏(享年75)の間のひとり娘か。何かと話題の民主党の田中眞紀子代議士(68才)とは異母きょうだいにあたる。このほど、母・昭(後に昭子と改名)と田中角栄氏について綴った著書『昭 田中角栄と生きた女』(講談社)を出版した。
「本の表紙になっている、オヤジとのツーショット写真が衝撃的だと、皆に驚かれるんですけど、その感想が私には新鮮でした。うちのアルバムの中に普通にあった写真の一枚でしたから」
ゆっくりと言葉を選びながらあつ子さんは話し出した。彼女がオヤジと呼ぶ田中角栄氏が、今太閤として拍手で迎えられたのは、昭和47年のこと。
しかしその2年後、文藝春秋11月号に『田中角栄研究――その金脈と人脈』と『淋しき越山会の女王』が同時に掲載されたことが引き金になり、辞任。さらに元首相は、昭和51年7月にロッキード事件で逮捕された。
多くの人にとってあの時代の象徴として田中角栄氏とロッキード事件があり、金庫番の越山会の女王がいるが、あつ子さんにとっては、父と母の話である。
「当時は私も記者に追いかけられたりして大変だったんですけど、大変といえば子供のころからずっとですからね」
たとえば、あつ子さんは自分がどこで生まれたのか、知らない。どこの病院、または自宅でお産婆さんが取り上げたかすらわからない。母・昭さんに聞けばいいだけなのに、聞かない。
「子供心に聞いちゃいけないことがたくさんあったんです。もともと私は、母と親戚のおばあちゃんと3人で大井町(東京・品川区)で暮らしていて、そこにときどき訪ねてくる“おじちゃん”がいたんです。
それがある日、母に“お父さんと呼びなさい”といわれ、おじちゃんがお父さんに。入れ違いに親戚のおばあちゃんは北海道に帰ったんですが、なぜ?と口に出して聞いたことは一度もありません」
※女性セブン2012年5月31日号