前代未聞の事態が東証一部上場の巨大ゴルフ場グループに勃発した。「オンナとカネ」にまつわるスキャンダル暴露合戦がおこなわれているのである。
自社の専務によって「オンナとカネ」スキャンダルが告発されたのは、「アコーディア・ゴルフ」の代表取締役社長・竹生道巨(ちくぶみちひろ)氏。ことの発端は、4月17日に同社の秋本一郎専務が行なった、竹生社長を「コンプライアンス違反」で告発する緊急記者会見だった。
同専務によれば“ある大株主”から、竹生社長を巡る重大疑惑を告発する手紙が寄せられたという。本誌が入手したその告発文には、竹生社長の女性問題が赤裸々につづられてい。
その後、秋本氏は竹生社長に調査委員会を設置して事実を究明するよう要求。しかし、竹生社長は拒否し、それどころか臨時取締役会で秋本氏の専務以外の職をすべて解任したという。
「外部の第三者委員会を作って、疑惑を精査することを強く求めていきたい」
会見で涙ながらに訴える秋本氏の姿は、巨人軍の「ナベツネ支配」を告発した、清武英利氏を彷彿とさせた。
この件で目を見張らせるのは、上場企業らしからぬプレスリリースの過激さだ。リリースは株主や報道向けの公式な発表資料である。会社の体面を表わすものだけに、たとえ不祥事に関するものでも、穏やかに書かれることが多いものだが、専務の告発会見以降、双方の赤裸々なリリースの応酬は激しくなる一方だ。
秋本氏が会見を開いたその夜、竹生社長サイドはすぐに反撃のリリースを出す。
〈社外取締役3名全員で構成する特別コンプライアンス委員会を設置することを決定しており、現在、調査が進行中です(中略)。調査を無視して独自に記者会見に及び、同氏(秋本氏)の私見を公表したことは誠に遺憾です〉
4月26日には、「特別コンプライアンス委員会の調査状況などについて」報告する旨のプレスリリースを発表した。社外機関の支援を受けて調査しており、「5月初旬にも調査結果を公表する」というものだった。
すると同日夕方、「アコーディア・ゴルフ株主委員会」と称する団体が急遽、会見を開く。
「(アコーディアは)およそ自浄作用を発揮することができない状況にあることは明らか」と非難したうえで、6月28日開催予定の株主総会に向けて、秋本専務を含む8人の新しい取締役候補を株主提案すると発表した。つまり、竹生社長を更迭するということだ。
この株主委員会とはいったい何者なのか。ここにきて、一連の騒動の“黒幕”の名が浮上する。委員会の筆頭に名を連ねていたのは、パチスロなどの機械を製造・販売する「オリンピア」で、秋本氏に告発状を送ったのも同社だった。その親会社は大手パチンコメーカー「平和」である。
平和は、アコーディアのライバル会社でゴルフ場経営2位「PGMホールディングス」の株式を80%以上保有する事実上のオーナー。平和はPGMと同時に、アコーディアの大株主でもあったわけである。
「オンナとカネ」をめぐるスキャンダルの裏にある、キナ臭い“陰謀”めいた動き。それはすぐに表沙汰となる。株主委員会の会見の翌日、再びアコーディアがその内幕を暴露するプレスリリースを発表したのだ。
それによると、2011年5月、アコーディアの神田有宏・取締役が退任し、今年1月25日にPGMの社長に就任。経営幹部が退社した直後にライバル会社の社長になるのは異例だが、就任の翌日には神田社長からPGMとアコーディアの経営統合が提案されたという。
アコーディア幹部がいう。
「当初から秋本専務はPGMとの経営統合に積極的だった。一方、竹生社長は“2、3年様子を見て”と慎重な姿勢を崩さなかった。するとオリンピアから竹生社長に対する告発状が届き、その日のうちにPGMから『竹生社長のコンプライアンス問題があるから』と統合話を凍結するという申し入れがあった。状況から見て、秋本氏がPGMの意を汲み、経営統合の邪魔になる竹生社長をスキャンダルで排除しようとしたのではないか」
同プレスリリースには、4月15日、秋本氏自身が竹生社長に次のような発言をしたと記されている。
〈「TOBでいくっていう話をずっと聞いてましたのでね(中略)神田さん(PGM社長)がスキャンダルの話を出してきまして、その方がお金がかからないんで」「結局もう社長の首をとっちまえば統合できるじゃないかという発想に彼らがなった。社長がいろいろ問題を抱えているから、会社にいたから彼らそれを知ってるわけですよ。そこを調べて、つけば、社長はやめるだろうということで今回始まっている」〉
前出の幹部が続ける。
「この竹生社長と秋本専務の会談は渋谷のセルリアンタワーホテルで行なわれた。その席で秋本さんサイドから“潔く身を引いて自分を後継にすれば、退職金や次のポストについては平和のオーナーが考える”という提案があったと聞いている」
翌日の4月16日、秋本氏が竹生社長と平和のオーナーとの会談をセッティングするが話は物別れに終わる。前述の秋本氏の「涙の会見」が行なわれたのは、その翌日のことだった。
※週刊ポスト2012年6月1日号