テレビ各局が震災後1年の特番を放送した3月11日の翌日、日本テレビ解説委員だった水島宏明氏(54)は周囲に辞意を伝え、古巣を後にした。同氏は『NNNドキュメント』ディレクターとして「ネットカフェ難民」シリーズなどを制作し、芸術選奨・文部科学大臣賞などを受賞。
『ズームイン!! SUPER』にはニュース解説委員として出演していた。現在は法政大学社会学部教授となった水島氏は、辞任のきっかけは原発報道にあると明かした上で、現在のテレビジャーナリズムの構造的な問題点を指摘する。
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この間の震災・原発報道を通じて露わになったのは、自らのありようを検証できないテレビ局の体質です。
日テレ系列の福島中央テレビは震災翌日、福島第一原発1号機の水素爆発の瞬間をメディアで唯一、撮影して速報しました。ところが、その映像が日テレの全国ネットで流れたのは1時間後のことです。報道局の幹部が専門家などの確認が取れるまで放映を控えると決めたからです。状況が確認できないまま映像を流せば、国民の不安を煽って後で責任を問われる状況になりかねないというわけです。
しかし、影響がどこまで及ぶかわからないからこそ、本来なら「確認は取れていませんが、爆発のように見える現象が起きました」といってすぐ映像を流すべきでした。実際、あれを見て避難を始めた人もいて、国民の命に関わる映像でした。私自身、福島中央テレビの人間から「すぐに放映しなかったのはおかしい」と責められました。しかし、その経緯は未だに社内で検証されていません。
その後も、本社や記者クラブ詰めの記者の多くは、原発事故で信頼を失った後でさえ、国や東電など「権威」のいうことを机に座ってメモするだけでした。発表内容をそのまま報じるものの、実際の現場に行って、たとえば本当に除染の効果が得られたかどうかを確かめるようなことはほとんどしません。カネと時間と労力がかかるので、楽なほうに流れてしまうのです。
本当に独自性のあるネタを報じれば、かつてのテレ朝系『ニュースステーション』の「ダイオキシン問題(※)」のような問題を生みかねないと、先んじた報道を避ける傾向があります。ワイドショーの現場では、報道局が撮ってきた映像を使い回し、短時間だけ現地に入るレポーターが番組名のついたマイクを使うなど、見せかけだけの独自性で勝負している。
テレビ報道が「権威」から離れる道もあるはずです。たとえば霞が関の官僚たちを、匿名を許さず「原子力安全・保安院 ○○課長補佐 ○歳」というように実名にして、何をいってどう行動したか詳しく伝えるだけでも、責任を追及する報道に変わるはずです。事実、すでに地方局ではやっていることなのに、キー局は変わろうとしない。私はこの現状を変えるため、何色にも染まっていない学生に、本来のジャーナリズムを教えていく道を選びました。
※テレビ朝日系『ニュースステーション』が1999年2月に埼玉県所沢市産の野菜から高濃度のダイオキシンが検出されたと報道したことを契機として、同市産の野菜価格が急落。同市の農家側が損害賠償などを求めて提訴し、テレビ朝日は謝罪した上、1000万円を支払うことで和解が成立した。
※週刊ポスト2012年6月1日号