4月22日、自然界で「36年ぶり」のヒナ誕生が確認されたトキ。その後、別のペアから次々にヒナが誕生、計8羽(5月21日現在)となり、佐渡は突然の“ベビーラッシュ”に沸いている。
かつてトキは、北海道南部から九州にかけて広く棲息する、ごくありふれた鳥だった。体長約75cm、翼を広げると約140cm。翼の下面は淡いピンク色で、日本人はそれを「朱鷺色」と表現した。田畑を踏み荒らすため、“害鳥”として農家に迷惑がられる存在でもあった。
しかし、明治にはいると食用や羽毛を取るために乱獲され、数が激減。1920年代半ばに、日本では絶滅したと考えられていた。
その後、昭和にはいって佐渡島で目撃が報告され、1934(昭和9)年に国の天然記念物に指定された。当時は佐渡島全域に100羽前後が生息すると推定されていたが、その数はさらに減り続け、1958年には日本全国で佐渡島に6羽、能登半島に5羽が生息するだけになってしまった。
1967年、保護した3羽のトキを人工飼育するため、佐渡にトキ保護センターを開設。1971年に能登で絶滅が確認され、日本でトキが生息するのは佐渡だけになった。なんとか絶滅を避けようと、1981年には野生のトキ5羽すべてを捕獲し、センターで保護。これによって日本のトキは「野生絶滅」したとされた。
センターで保護したトキは人工ふ化を目指して大切に飼育されたが次々に死亡。1985年には雌の「キン」と中国産の雄との間で繁殖が試みられたが失敗。1995年には雄の「ミドリ」と中国から来た雌が交配し、5個の卵を残して「ミドリ」は急死、卵は残念ながらすべて無精卵だった。
そして2003年10月10日の朝、「キン」の死亡が確認され、とうとう日本産のトキは地上から姿を消す。「キン死す」のニュースは、日本人に大きなショックを与えた。
これまで20年間にわたってトキの飼育に取り組んできたのが、“トキ飼育の第一人者”である、佐渡トキ保護センターの獣医師・金子良則さん(54才)だ。金子さんが赴任して初めて会ったトキがミドリとキンだった。何としても日本産トキを羽ばたかせたい、という強い思いから1日24時間、トキのことばかりを考える生活が始まった。そんな矢先のミドリの死。
「ミドリのことは本当にショックでした。あの5個の卵のなかに、せめて有精卵があってくれたらと、いまだに思い返すこともあるんです」(金子さん)
さらにキンが死亡したときには、悲しみに浸る間もなく、保護センターには非難が殺到した。それでも1999年1月に中国から贈られた「ヨウヨウ」と「ヤンヤン」の交配により、復活への挑戦は続いていた。中国産のトキは生物学的には日本産と同一であるため、“外来種”とはされない。
1年目の繁殖は難しいと思われたが、1999年の春には待望のヒナ、雄の「ユウユウ」が誕生。金子さんはセンターに泊まり込んでユウユウを見守った。
「せっかく生まれても、死なせたのでは意味がない。温度や湿度を少しずつ変えながら、ユウユウが生きられるように何とか保っていました。ストレスで血の小便が出たよ」(金子さん)
※女性セブン2012年6月7日号