国際社会による再三の説得にもかかわらず、市民への刃を止めぬシリアのアサド大統領。「アラブの春」に必死に抵抗し続ける最後の独裁者の姿に、明治大学特任教授・山内昌之氏は、嫉妬と憎悪の「権力闘争」が色濃く映ると説く。
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権力闘争は国内だけで繰り広げられるとは限らない。時には、国境や領土を越えてライバルに嫉妬心を燃やす権力者たちもいる。歴史的に眺めると、中東を軸とするイスラム世界の権力者にも嫉妬のほむらを燃やす男が多かった。
十字軍戦争の英雄サラーフッディーン(サラディン)の勲を嫉んだアッバース朝のカリフ、ナースィルは、無能でありながら妬心の権化ともいうべき人物であった。また、オスマン帝国のスルタンが優秀な息子を必ずしも後継者としたわけではない。
そこには父といえども感じざるを得ない若者に対する老人の嫉妬が潜んでいたからだ。時には、オスマン帝国のスルタン位継承にまつわる争いがしばしば兄弟殺しや息子殺しに発展したのは、権力と嫉妬心の複雑な関係を物語っている。
さて、いまの中東に目を転じると、トルコのエルドアン首相とシリアのバッシャール・アル・アサド大統領との関係も、嫉妬の観点からとらえることができよう。トルコはアサド政権下で進行するシリア市民への無差別攻撃を厳しく批判しているが、アサドのほうは意に介さない。アサドにとって「隣国との問題ゼロ外交」を展開し、オスマン帝国の支配下にあったアラブ地域に対する「新オスマン外交」の成功は鬱陶しいほどだ。
シリア人やパレスチナ人にとってアラブならざるトルコのエルドアンの外交姿勢が歓呼されるのは、ひとえに彼がイスラエルにも遠慮せず公然と批判するからである。イスラエル批判を口にしながら、その実は40年間も衝突や戦争を避けてきたシリアの及び腰に内心不満をもっているアラブ人は多い。
そのうえ、イスラエルとの対決を避ける割に「アラブの春」が始まってから14か月間で、シリアの市民に1万1000人の死者を出したアサド政権の遣り口に疑問や反発を感じるアラブやトルコの市民はますます多くなっている。自国の市民に離反されたアサド大統領にとって、エルドアン首相は癪な存在であるだけでなく、ずいぶんと嫉妬心を抱かざるをえない隣国の政治家なのだ。
そもそも、旧宗主国であるトルコと、その支配下にあった「ビラード・アッシャーム」(シリアの地)の継承国家シリアとの間には、歴史的に見て7世紀のウマイヤ朝以来のダマスクスの栄華と、15世紀のコンスタンチノープル陥落による中東バルカンを制覇した誇りが複雑に絡まった双方の優越感と劣等感の交差が存在する。
軍人奴隷に由来しながらアラブ人たちを支配したトルコ人という非アラブの民と、神の啓示を受けた言葉のアラビア語を話しイスラムの直系を自負するアラブの民との間の隠微な優劣の感覚は、余人の想像を越えるものがある。
※SAPIO2012年6月6日号