かつて、日活ロマンポルノは、「ポルノ」でありながら独特の芸術性を観るものに発信した。後に日本映画界で大きな仕事をした監督たちも輩出した。雑誌の「エロ」記事も現場の人間を描き、取材する若いライターを育てていった。だが、現代のエロに、はたして若者を救う力はあるのか? ノンフィクション・ライターの神田憲行氏が考察する。
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そういえば「神代」と書いて「くましろ」と読むことを、日活ロマンポルノで知ったんだったなあ。渋谷ユーロスペースで開催中の「生きつづけるロマンポルノ」で上映されるラインナップで、神代辰巳、藤田敏八、相米慎二らの名前を見てそんな感慨にふけった。
よく指摘されるように、日活ロマンポルノ映画は低予算で撮影された「ポルノ」でありながらも独特の芸術性を展開し、後に日本映画界で大きな仕事をした監督たちの揺籃期を支えた。
巨匠たちと比べてはいけないが私もエロで救われた。同世代の社会派ライター(40代後半)氏とお酒を飲んでいて、「昔はエロがあって助かったなあ」という話で今も盛り上がる。
エロ取材の何がいいかというと、まず食える(笑)。家賃三万円の風呂無しアパートに住んでいた私にとって、「エロ記事書く=来月も東京に居られる」ということだった。なにしろネットなんてない時代だから、風俗体験記事からインタビュー、ルポなどエロ記事の需要は高かった。
20代の駆け出しライターにとって、取材・執筆の場数を踏むことが出来たのも有り難かった。編集部からポンといきなり六万円渡されて「吉原いって面白い記事書いてこい」と言われたことがあるし(大阪弁で交渉するとソープランドが値切れるという記事書きました)、何回も取材していた池袋のSMクラブでは、控え室で背中にもんもん入れた女王様が英語の勉強をしていた。
「将来は翻訳家になりたいの。でも小説とか映画は競争率が高いから、技術翻訳を狙ってる」
ソープランドで働く女性は、「お肉を食べた翌日の男の人のあれは甘いの。だから遊びに行く前に是非焼肉食べて来てと書いて」と私に頼んだ。
どんな商売でも、真面目に取り組んでいる人の話は襟を正して聞く価値があると、エロ取材の現場で教わった。ま、お陰で縛られてローソク垂らされているM男君モデルとしてグラビア飾っちゃったりしたことあるけれど。
今の駆け出しの若いライターたちはどこでメシを食って、経験を積んでいるのだろう。週刊誌にはもう取材したエロ記事などほとんどない。あるのはAVの紹介記事だ。それでは風俗やエロの現場で真摯に働いている人たちの声を伝えることはできない。そのAVでも、かつての日活ロマンポルノのような文学性・芸術性をもった作品があるのだろうか。神代辰巳や藤田敏八はそこにいるのか。
渋谷ユーロスペースに入ると、客は7割の入り。私より上のごま塩頭のお年寄りもいれば、若い人もいる。女性専用シートがあるから女性も1割ぐらいいた。異才を生んだ、右も左もわからない若者を食わせてくれた「豊かなる辺境」として、エロはずっと生きつづけて欲しい。